前稿で『青い眼の人形』のオリジナルとも言うべき本居みどり盤を聴いたが、超有名曲だけに、幾多の童謡歌手たちが録音している。これらを聴き比べるだけで、童謡レコード史になるかも知れない。
青い眼の人形(1921年)-野口雨情作詞/本居長世作曲
靑い目をした お人形は
アメリカ生れの セルロイト
日本の港へ ついたとき
一杯涙を うかべてた
「わたしは言葉が わからない
迷ひ子になつたら なんとせう」
やさしい日本の 嬢ちやんよ
仲よく遊んで 遣つとくれ
戦前(~1945年)の録音
藤原志津子(ショーチクレコード;京都)新ヒノマルレーベル盤
「ショーチク」は映画会社“松竹”とは無関係の“昭和レコード製作所(略称;昭蓄)”なのだとか。
広瀬澄子(コツカレコード;大阪)ヱイトレーベル盤
「コツカ」とは“國歌”、即ち“國歌レコード製作所”という社名らしい。レーベル名が“エイト”でなく“ヱイト”なのが面白い。これでは発音が“yeito(イェイト)”になり、英語の「8(eight)」とは似て非なる和製語でしかなくなってしまう。
本多信子(日本ビクターレコード)盤
飯田ふさ江(日本コロムビアレコード)盤
戦後(1945年~)の録音
内田由美子(テイチクレコード)盤
巷間伝わる“青い眼の人形伝説”は、米国の排日移民法(1924年)成立が背景にあった。したがって、既に存在していた当該曲とは無関係ながら、どうしても混同しがち。物語は来日歴のある米国人宣教師シドニー・ギューリック博士の発案により、日米友好親善のために【青い眼の人形】約13,000体が日本の子供たちに贈られた。その答礼として全国(朝鮮・台湾等外地を含む)の小学生らが大量の市松人形を寄贈したというお話。外務省の依頼で当該イベントに深く関わったのが、新一万円札の肖像画に決まっている渋沢栄一であった、と言う。
因みに、贈られてきた人形は、セルロイド製ではなかったみたい。
楽曲自体、トリオ(中間)部分が童謡とは思えぬほど物悲しい歌詞や旋律である。戦前はみんなそのように歌っている。ところが、戦後は“伝説”のほうに依拠するかのごとく、翳りなき明るさ一辺倒のモノトーン調に変わってしまった。我国のローカルカラー(≒民族色)が次第に失われ、童謡の世界にもグローバル化が進んでいるようだ。全くいかん(良くない;遺憾)ねぇ。
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