いよいよチェンマイともお別れ。今夕当地を発ち、帰国の途に就く予定。結局、部屋に籠もって“喰っちゃ寝”で何もしない毎日だった。ぐうたら生活と笑うことなかれ。欧米をはじめとする諸外国では、これこそが“最高の贅沢”なのだとか。
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背番号【26】となれば、まず真っ先に江夏豊投手(阪神・南海・広島・日本ハム・西武)を想い出す。“江夏の21球”伝説が生まれた広島在籍中(1979-1980)の背番号だからかもしれない。しかし、プロ入りした阪神では、もともと【28】を背負っていた。実は、阪神時代の投球を神宮球場で目にしている。対アトムズ(現東京ヤクルト)戦だったから1969年(昭和44年)のことになる。贔屓球団西鉄(西武)以外の公式試合を観たのは後にも先にもこのときだけである。
裏話ながら、母校野球部と関わりのあった同級生からタダ券を手に入れたからに他ならない。雨で試合が中断したことや彼が安打を放ったとか、つまらないことばかり憶えているが、試合結果など肝腎なことは忘れてしまった。ただ、三塁側内野席からの観戦だったので、マウンド上の背番号【28】だけが、残像の如く未だ脳裏にある。
背番号【26】の系譜
01.田部輝男(一塁手・外野手)・・・1951-1954
02.鵜狩道夫(右投手)・・・1955-1957
03.桑原庄治(左投手・二塁手)・・・1958
04.河合保彦(捕手)・・・1959-1967
05.岡本凱孝(捕手)・・・1968-1969
06.甲斐和雄(遊撃手・三塁手)・・・1970-1973
07.藤井信行(外野手)・・・1973-1975
08.ジェームス・ジェナス(外野手・三一塁手・指名打者)・・・1976
09.ボブ・ハンセン(一塁手・指名打者)・・・1977-1978
10.根本隆(右投手)・・・1979-1981
11.金森栄治(捕手・外野手・指名打者)・・・1982-1988
12.岡本光(右投手・出場記録なし)・・・1989
13.鹿取義隆(右投手)・・・1990-1997
14.星野智樹(左投手)・・・1999-202012
15.サファテ(右投手)・・・2013
16.マイケル・ボウデン(右投手)・・・2014
17.エスメルリング・バスケス(右投手)・・・2015
18.川越誠司(左投手・出場記録なし)・・・2016-2018
記憶にある選手は、「02」「04」「11」「13」だけ、とにかく少ない。このうち鵜狩投手は、充実した投手陣のなかで登板機会が殆どなく、西鉄では未勝利に終わっている。が、たまたま平和台球場で投げたのを観たことがある。その後、広島に移籍し、通算55勝の記録を残している。
続いて背番号【27】。これは関口清治外野手(巨人・西日本・西鉄・阪急)で決まり。
背番号【27】の系譜
01.関口清治(外野手)・・・1951-1961
02.難波昭二郎(二三塁手)・・・1962
03.ジョージ・ウイルソン(一塁手・外野手)・・・1963-1964
04.三好守(外野手)・・・1965-1968
05.田中久寿男(一三塁手・外野手)・・・1969
06.竹之内雅史(三一塁手・外野手・指名打者)・・・1970-1978
07.大原徹也(二塁手・遊撃手・指名打者)・・・1979-1981
08.伊東勤(捕手)・・・1982-2003
09.細川亨(捕手)・・・2007-2010
10.炭谷銀仁朗(捕手)・・・2012-2018
憶えているのは、「01」「03」「05」「06」「08」「09」。無論、巨人へFA移籍した炭谷選手も知っている。FA制度が導入されて以降、他球団へFA移籍した選手の人数は、西武が断トツだそうな。炭谷選手の他、同じFA権を行使して中軸打者浅村選手が楽天へ、エース菊池投手もポスティング制度を利用して米大リーク挑戦と、選手流出がなかなか止まらない。何もかもアメリカナイズされ、これでは『野球』でなくて『ベース・ボール』である。
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