背番号【22】で真っ先に思い浮かぶのが、我らの田淵幸一選手。人懐っこい性格・顔貌で石井ひさいち原作の漫画やアニメになるなど、これほど国民的人気を博した選手も珍しい。
背番号【22】の系譜
01.後藤宏之(捕手)・・・1951
02.新留国良(一塁手)・・・1952
03.島原幸雄(右投手)・・・1953
04.橋本政雄(右投手)・・・1955-1957
05.玉造陽二(外野手)・・・1958-1959
06.杉町攻(右投手兼外野手)・・・1960-1963
07.三好守(外野手)・・・1964
08.尾崎正司(右投手)・・・1965-1967
09.東田正義(外野手)・・・1968-1974
10.吉岡悟(二塁手・遊撃手・指名打者)・・・1975-1978
11.田淵幸一(指名打者・捕手・一塁手)・・・1979-1984
12.行沢久隆(三二塁手・遊撃手)・・・1988
13.大宮龍男(捕手)・・・1990-1992
14.清水義之(指名打者・二三塁手)・・・1993-1996
15.和田一浩(捕手・外野手・指名打者)・・・1997-1999
16.中嶋聡(捕手・指名打者)・・・2000-2002
17.野田浩輔(捕手・指名打者)・・・2004-2011
18.岡本篤志(右投手)・・・2013-2016
19.中塚駿太(右投手)・・・2017-2018
憶えているのは、「03」「05」「08」「09」「11」「12」「15」。島原投手、玉造外野手も【22】を着けていたことがあるのですね、知りませんでした。杉町投手の投手兼外野手の真相は? 未だ指名打者制度がない頃で、投手も打席に立ったわけだから、打撃成績だけでは解明できない。しかし、1962年のみ外野手での出場記録しかなく、その後再び投手と外野手(偶に三塁手も)両方の出場記録が残っているので、正真正銘の“二刀流”だった可能性が高い。昔は選手不足だったせいか、複数のポジションをこなせる選手が結構多かったのですよ。
プロ野球では成功しなかった尾崎投手だが、プロゴルファーに転向し、“ジャンボ尾崎”の異名で一躍有名になった。和田選手は後年中日へFA移籍してしまったけれど、若かったのに禿げかかった頭ばかりが印象に残っている。
続いて背番号【23】。個人的には、左腕畑隆幸投手(小倉高卒)の印象が強い。平和台球場で実際の投球も観て知っている。ライオンズ唯一の永久欠番稲尾和久投手(別府緑ヶ丘高卒)とは同期入団。しかし入団直後の前評判は、全国大会出場暦のない無名の稲尾投手より、選抜大会準優勝の実績を保つ畑投手のほうが遥かに高かったのであります。
背番号【23】の系譜
01.塚本博睦(外野手)・・・1951
02.坂上惇(右投手)・・・1952-1955
03.畑隆幸(左投手)・・・1956-1962
04.与田順欣(右投手)・・・1963-1969
05.梅田邦三(遊撃手・三塁手)・・・1971-1975
06.鈴木照雄(外野手・二三塁手・指名打者)・・・1976-1978
07.古沢憲司(右投手)・・・1979-1980
08.小林誠二(右投手)・・・1981
09.西岡良洋(外野手・指名打者)・・・1982-1989
10.大塚孝二→光二(外野手・指名打者)・・・1990-2001
11.平尾博嗣(二三塁手・指名打者)・・・2002
12.許銘傑(右投手)・・・2004-2011
13.マイケル中村()・・・2012
14.平野将光(右投手)・・・2013-2014
15.野田昇吾(左投手)・・・2015-2018
記憶にある選手は、「03」から「04」「07」「09」「10」「12」まで。古沢投手は田淵選手とともに阪神からやって来た人。時期はズレるが、高校在学時に「鉄仮面」と渾名した世界史担当の先生に似ていたため、よく憶えている。
小林投手は、広島から移籍してきて、三年後に再び広島に戻って行った変わり種。西岡選手のひたむきなプレー、大塚選手の剽軽な顔、懐かしいなぁ、あの頃。
コメント