土日は隣の小中学校が休校日のため、児童生徒の喧噪もなく、実に静かな休養日和であった。今朝から、再び平日の日課が始まる。。
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各球団のエースナンバーは【18】とされるが、例えば杉下茂、星野仙一両投手(ともに中日)の如く、背番号【20】も球団を代表する投手に与えられることが多い。我がライオンズとて例外ではない。
背番号【20】の系譜
01.久喜勲(右投手)・・・1951
02.阿部長久(左投手)・・・1952
03.西村貞朗(右投手)・・・1953-1962
04.田中喜八郎(右投手)・・・1963
05.池永正明(右投手)・・・1965-1970
06.石井茂雄(右投手)・・・1973-1978
07.鵜沢達雄(右投手)・・・1979-1980
08.杉本正(左投手)・・・1981-1984
09.ジョージ・ブコビッチ(外野手・指名打者)・・・1986
10.駒崎幸一(指名打者・外野手)・・・1987-1989
11.森博幸(一塁手・外野手・指名打者)・・・1990-1997
12.豊田清(右投手)・・・1998-2005
13.山本淳(右投手・背番号20での出場なし)・・・2007-2008
14.野上亮磨(右投手)・・・2009-2017
15.高木勇人(右投手)・・・2018
憶えているのは、「03」「05」「06」「08」「09」。現役の野上、高木両投手も名前だけは知っている。巨人へFA移籍した野上投手の人的補償で高木投手が埼玉西武へ。しかし、今シーズンは二人とも期待外れに終わっている。
西鉄時代は西村、池永両投手のように、エースと呼ぶにふさわしい人材が居たものの、その後は小粒になってしまいましたね。西村投手の投球は、平和台球場でナマで観たことがあるし、池永投手も甲子園で活躍した下関商時代から注目の好投手であった。石井投手は、阪急時代に梶本隆夫、米田哲也両投手と並ぶ主力投手だった人。弱かった頃のライオンズ(太平洋)へ移籍後も東尾投手と二人でチームを支えていた。
続いて背番号【21】。これは誰が何と言おうと、我がライオンズの誇る東尾修投手が断トツであろう。
背番号【21】の系譜
01.川崎徳次(右投手)・・・1951-1958
02.島原幸雄(右投手)・・・1959-1962
03.若生忠男(右投手)・・・1963-1968
04.東尾修(右投手)・・・1969-1988
05.渡辺智男(右投手)・・・1989-1993
06.村田勝喜(右投手)・・・1994-1995
07.スコット・クーパー(三塁手・指名打者)・・・1996
08.西崎幸広(右投手)・・・1998-2001 左投手
09.石井貴(右投手)・・・2002-2007
10.中崎雄太(左投手・背番号21での出場なし)・・・2009-2011
11.十亀剣(右投手)・・・2012-2018
記憶しているのは、「01」「02」「03」「04」「05」「08」「09」。現役十亀投手も知っている。懐かしいなぁ川崎投手。昭和30年代初めに平和台球場で姿を観ているはずだが、登板した試合を観戦したかどうかまで、はっきり憶えていない。
東尾投手は、西鉄最後の生き残りで、西鉄→太平洋クラブ→クラウン・ライター→西武へ次々と親会社が代わる苦難の時代を括り抜けてきた叩き上げの選手である。甲子園での活躍で高校(箕島高)時分から注目されてはいたが、弱かった西鉄のチーム事情から即エースの働きを期待されても酷というもの。西鉄入団後数年間は、負け数が勝ち数を大幅に上回る無惨な成績が続いた。それでも、リーグ最多勝タイトルを二度獲って、「名球会」入りも果たしている。好きだなぁ、逆境をはねつける心(しん)の強い選手。なお、得意球のシュートは、河村英文(久文)投手コーチが直伝で鍛え上げたらしい。
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