背番号【18】は、今や各球団のエース・ナンバーとして定着した観があるが、不思議なことに永久欠番は未だ誰も出ていない。
背番号【18】の系譜
01.武末悉昌(右投手)・・・1951-1953
02.島原幸雄(右投手)・・・1954-1958
03.河村英文;本名-久文(右投手)・・・1959
04.若生忠男(右投手)・・・1960-1962
05.畑隆幸(左投手)・・・1963-1964
06.河原明(右投手)・・・1968-1974
07.伊藤久敏(左投手)・・・1975
08.関本四十四(右投手)・・・1975
09.倉持明(右投手)・・・1976-1978
10.成重春生(右投手)・・・1979
11.田鎖博美(左投手・出場記録なし)・・・1980-1982
12.江夏豊(左投手)・・・1984
13.郭泰源(右投手)・・・1987-1997
14.松坂大輔(右投手)・・・1999-2006
15.涌井秀章(右投手)・・・2009-20013
16.多和田真二郎(右投手)・・・2016-2018
記憶に残っている名前は、「01」「02」「03」「04」「05」「06」「08」「09」「12」「13」と、エース・ナンバーだけあってさすがに多い。現役の「14」「15」「16」も、もちろん知っている。特に、島原、河村、若生、畑各投手は、平和台球場で実際の投球を観て知っている。ただし、河村投手は背番号【15】、タコ踊り投法の若生投手が背番号【38】、地元小倉高校出の畑投手は背番号【23】だったときの話である。なお、武末さんの現役時代は知らないが、TV中継の解説者としてよくお見かけした。引退して間もない頃のはずだが、まるでお爺さんのように見えた。
続いて背番号【19】。有名なのは南海時代の野村克也捕手だが、個人的には下記「06」近藤投手の投球が目に焼き付いている。眼鏡のサウスポーで大した成績も残せず、直に中日へ移籍させられたが、とにかく一所懸命プレーしているようで、好きだったなぁ。眼鏡のサウスポーと言えば、“火の玉投手”の異名をとった荒巻淳(毎日:大分商卒)投手がそうだったので、或いはイメージがダブっていたのかも知れない。近藤投手をナマで観たことはないけれど、荒巻投手なら観ている。因みに、背番号【18】の河原投手も大分商出で、我が母校(東大分小)の近くで現在ステーキ店を営んでいるとか。もちろん、面識はないが。
背番号【19】の系譜
01.緒方俊明(右投手)・・・1951-1952
02.マリオン・オニール(左投手)・・・1952-1953
03.佐川守(左投手)・・・1955-1957
04.平出凱夫(外野手)・・・1958
05.米川泰夫(右投手)・・・1959
06.近藤光郎(左投手)・・・1960-1962
07.中島淳一(右投手)・・・1963
08.山本秀一(二・三塁・遊撃手)・・・1964-1968
09.中井悦雄(右投手)・・・1969
10.泉沢彰(右投手)・・・1970-1972
11.阪口忠昭(右投手・背番号19での出場記録なし)・・・1973
12.浜浦徹(右投手)・・・1974-1977
13.野村克也(捕手)・・・1979-1980
14.鈴木孝行(左投手・背番号19での出場なし)・・・1981
15.西本和人(右投手)・・・1982-1986
16.広瀬新太郎(左投手)・・・1988-1989
17.高橋一彦(右投手)・・・1990-1991
18.松原靖(左投手)・・・1992
19.前田勝宏(右投手)・・・1993-1996
20.森慎二(右投手)・・・1997-2002
21.長田秀一郎(右投手)・・・2004-2007
22.平野将光(右投手)・・・2008-2012
23.ライアン・スピリー(外野手・指名打者)・・・2013
24.豊田拓矢(右投手)・・・2014-2017
25.齊藤大将(左投手)・・・2018
憶えているのは、「05」「06」「13」「20」といったところ。現役の「25」も名前は知っている。“生涯一捕手”の野村さん、現役最後の球団がこのライオンズでした。監督としても一時代を築いた人である。米川投手も東急>東映でエース級の働きをした投手。この人も現役最終球団が西鉄というわけ。
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