前稿で聴いた『分手』は1992年の曲。ようやく蒋介石父子の外省人(戦後、大陸から逃れてきた者たちを指す)統治を脱し、本省人(戦前からの台湾在住者)李登輝総統を迎えた時期と符合する。【歌は世に連れ世は歌に連れ】と謂うが、政治も歌も新時代建設が始まったわけで、高度経済成長とともに大きく様変わりしてゆく。反面、「昭和」から「平成」に代わった日本がそうであったように、台湾も地方色や固有の情緒が急速に失われ、無機的な巨大ビル群が建ち並ぶコンクリート砂漠と化していった。
だから余計に旧時代が懐かしい。以前は、ちょうど自分が子供だった昭和30年代に似た景観や生活様式だったのですよ。文明的には遅れていたが、我々が物質的豊かさと引き替えに失くしてしまった他者への思いやり(人情)が残っていた。日中国交回復(1972年)に伴う日本との断交以後、国際的孤立を深めた台湾(それまでの公式「中国」とは在台湾蒋介石政権を指し、国交のない大陸政権を「中共」と呼んでいだ。)だったから、殊更「愛国心」が叫ばれた時期でもある。実際に初訪台(1980年)時、戦闘こそ止んでいたものの依然として戒厳令下にあって、官庁・鉄道等の軍事要衝には武装した歩哨が立っていたし、集合住宅を含むビル群には空襲に備えた地下壕建設が義務づけられてもいた。
旅行時、未だ珍しかったホームビデオを担いで行ったりもした。一部はYouTubeにアップしてあるので、よろしかったらどうぞ。
思い出したけどこの時、成田発台北行ノースウェスト・ジャンボ機が、目的地空港濃霧のため着陸を断念、沖縄・那覇空港にダイバート(代替着陸)。ここで一泊(朝食付宿泊代は無論航空会社持ち)したのでした。その際のホテルが今年2月の沖縄旅行で30年ぶりに使った沖縄ハーバービューホテル。知らなかったが、皇族方も宿泊なさる沖縄随一の最上級ホテルだったらしい。そこで今回は、映像のバックに流れる『七點鐘』(齊豫;1985年)を聴いてみよう。取り立ててお気に入りというほどの曲ではないが、ビデオのおかげで脳裏に焼き付いて離れず、妙に懐かしい。
作曲︰李宗盛、作詞︰三毛
今生就是那麼地開始的
走過操場的青草地
走到你的面前不能說一句話
拿起鋼筆 在你的掌心寫下七個數字
點一個頭 然後 狂奔而去
守住電話 就守住渡日如年的狂盼
鈴聲響的時候 自己的聲音那麼急迫
是我 是我 是我
七點鐘 你說七點鐘
好 好 好 我一定早點到
啊明明站在你的面前
還是害怕這是一場夢
是真 是幻 是夢
車廂裡 面對面坐著
你的眼底 一個驚惶少女的倒影
火車一直往前去呀
我不願意下車
不管它要帶我到什麼地方
我的車站 在你身旁
就在你的身旁 是我在你的身旁
【追伸】
大変なことになった。今朝方、実家のある地元警察署から、弟が自宅で亡くなっていたとの知らせを受けた。現場の状況がら事件性はなく、死亡推定日は10日(水)前後だとか。病気持ちとは聞いてなかったが、兄・姉はおろか、入院中の母親(98歳)より先に逝くなんてあんまりである。思い起こせば、不遇な弟であった。着衣はいつも兄の着古したお下がり、小・中学校でも私奴の「弟」としか見て貰えず、さぞ寂しい思いだったに違いない。
当面の対応は妹に一任してあるけれど、ブログどころではなくなった。ついては、暫くの間、更新出来ないかも知れません。悪しからず御諒承ください。
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