ネット上の【ニュース】を見ていたら下記のような記事に出会した。なにぶんにも【ニュース】ゆゑ、時の経過とともに削除されるのが必定、今のうちに全文引用しておく。
「君の名は。」ファンに注意喚起 聖地巡礼で苦情
日刊スポーツ 9月10日(土)10時44分配信
大ヒット公開中のアニメ映画「君の名は。」(新海誠監督)の関連場所訪問、いわゆる“聖地巡礼”の際はマナーを守るよう公式から注意喚起が行われた。
「君の名は。」は公開から10日で38億円突破というヒットを飛ばしており、早くも聖地巡礼が活発に行われているらしい。ネット上では、劇中で登場したスポットをまとめたサイトがいくつも見られる。
しかし中にはそういった聖地でマナー違反の振る舞いをするファンもいるようだ。映画の公式サイトでは9日、「『君の名は。』関連場所訪問(聖地巡礼)についてのお願い」と題した文章を掲出。「『君の名は。』公開後、本編中に登場する、または関連のある場所へ、多くのファンの皆様にお越しいただいておりますが、近隣の方々より騒音や早朝深夜の訪問に関する苦情を多数いただきました。関連場所への訪問を予定されている皆様におかれましては、節度のある行動、及びマナーに十分心掛けていただきますようお願い申し上げます」とファンに注意を促した。
自分は時代に取り残された旧いタイプゆゑ、てっきりNHKラヂオドラマ『君の名は』(菊田一夫原作;昭和27年)のリメイク映画と思いきや、まったくの別物であった。『君の名は。』と題名が読点付であるところがミソ。新海誠のオリジナル小説を自らアニメ映画化したものらしい。しかし、同じ『君の名は(。)』を巡る騒動(?)も、半世紀(50年)以上経つと斯くも異なる【ニュース】になってしまうのだろうか、世の中変わらぬように見えて実は変わっているのだ。我が国民(=一般庶民)全体の質が堕ちたと思いたくないし事実そうではあるまいが、いわゆる【ミーハー】即ち流行に敏感な【大衆】の占率が増しているのは確かなようだ。
我国の戦後は、占領軍(GHQ)のプロパガンダに乗せられて戦前を全否定するところから始まった。私見ながら【庶民】と【大衆】との間を峻別するものは【識見=教養】の差であると考えている。この【識見=教養】は、必ずしも【知識】の数量や【学歴】に比例するとは限らない。如何に【知識・学歴】があろうと、必要な局面で活用応用するだけの度量を備えていなければ、それを【識見】とは見なさないからである。
但し、【庶民】であれ【大衆】であれ、常時看板を背負っているわけではないし手前勝手な定義に過ぎないから、局面に応じて両者の挟間を行ったり来たりする。斯くなる講釈を垂れている私奴とて例外ではない。しかし、結論を先に書くなら、【大衆】と呼ばれる輩ほど流行に迎合し易い分、グローバリズム(国際標準)に名を借りた西洋的価値観(はっきり言えば「アメリカニズム」)をも無批判に妄信しがちである。論より証拠、ニュースになった傍迷惑な【ファン】とやらの軽挙妄動する生態を検証してみるがよい。【庶民】なら、【識見】があるがゆゑにコトの善悪・真偽・正邪を見抜く術を心得ており、簡単には騙されないのである。
『君の名は』の時も大変なブームになった。それでも、せいぜいヒロインを真似た【真知子巻き】と称するファッションが流行った程度。貧しかった時代背景にも因るが、【聖地巡礼】などと映画自体を神格化するようなバカげた旅行形態なぞなく、それはそれは慎ましやかなものだった。戦前の全てが素晴らしかったなどと殊更美化するつもりは毛頭ないが、逆に戦前を全否定した戦後の出発点こそ大問題と謂わざるを得ない。つまり、精神面でご先祖様との結び糸(歴史)を自ら断ち切る愚を犯してしまったわけだ。我が国民の大多数を占める【庶民】であれば、そんなことはとっくの昔に知っている。知らぬは【大衆】だけ、ということ。
『君の名は』(松竹;1953年)
『君の名は。』(東宝;2016年)
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