少年期に観戦した西鉄ライオンズの試合から、対戦したパ・リーグ各球団の記憶にある選手を採り上げようと書き始めたが、セ・リーグを無視するわけにもいくまい。かといって西鉄(パ)の試合しか知らないので、観たこともないセ・リーグのことなど、書くに書けないではなか。しかし、実際に観てなくとも、有名選手ならラヂオ・児童雑誌などで少しは知っていた。東京・大阪などの大都市圏から順次テレビ局が開局していたけれども、庶民にとって受像機は未だ高嶺の花だったから、街頭テレビを視に行くか富裕家庭のテレビを垣間見させて貰うしかなかった。
そうそう、福岡市渡辺通一丁目(現「ホテルニューオータニ博多」の辺り)に映画館があり、日活映画『川上哲治物語背番号16』(昭和32年)を観たことあるぞ。60年近くも前に一度観たきりなので、ほとんど記憶に残っていない。ネット情報によると、小林旭も出てたんだ。尤も、当時は名前すら知らなかったのですがね。ただし、なじかは知らねど吉原正喜捕手を演じた宍戸錠の姿だけが妙に脳裏に焼き付いている。今回初めて知ったのだけれど、実在した吉原選手は悪名高きインパール作戦後のビルマ(拉孟・騰越の戦い)で戦死したのだそう。この映が引き合わせたわけでもあるまいか、平成19年に件の地(現ミャンマー・モンラーと中国・打洛との国境)を訪れたことがある。
そんなわけで、この年(昭和30年)の日本一球団に敬意を表し、読売ジャイアンツを記事にする。どうでもいいけど新聞・雑誌では、何故か球団名《讀賣》でなく「巨人」とするのが昔ながらの不文律(?)であるらしい。同じ新聞社母体でも「中日」や「毎日」などはそのままだったのに、なぜだろう?
守備 | 野手名 | 背番 | 打率 | 打点 | 本塁打 |
中 | 与那嶺 要 | 7 | .311 | 65 | 13 |
二 | 千葉 茂 | 3 | .237 | 30 | 4 |
右 | 南村 侑広 | 1 | .252 | 30 | 2 |
一 | 川上 哲治 | 16 | .338 | 79 | 12 |
左 | 岩本 尭 | 5 | .266 | 60 | 12 |
三 | 広岡 達朗 | 2 | .257 | 43 | 11 |
遊 | 平井 三郎 | 8 | .280 | 32 | 5 |
捕 | 広田 順 | 6 | .222 | 30 | 6 |
柏枝 文治 | 23 | .336 | 31 | 2 | |
藤尾 茂 | 9 | .286 | 29 | 5 | |
内藤 博文 | 28 | .203 | 16 | 3 | |
宮本 敏雄 | 40 | .320 | 22 | 6 | |
樋笠 一夫 | 24 | .225 | 20 | 2 | |
加倉井 実 | 22 | .171 | 10 | 0 | |
岩下 守道 | 15 | .206 | 3 | 0 |
投手名 | 背番 | 投回数 | 勝敗 | 奪三振 | 防御率 |
大友 工 | 20 | 303.2 | 30- 6 | 206 | 1.75 |
別所 毅彦 | 11 | 312.0 | 23- 8 | 152 | 1.33 |
安原 達佳 | 32 | 195.1 | 12- 8 | 98 | 1.74 |
入谷 正典 | 21 | 70.2 | 5- 0 | 26 | 2.15 |
中尾 碩志 | 18 | 183.0 | 16- 9 | 81 | 2.11 |
超人気球団ゆゑに、実際に観たことなくとも選手名ぐらいは当時からよく知っていた。ところが、巨人軍なら全て名選手みたいに可笑しな「神話伝説」が拡散しているけど、数字だけ見ると大したことありませんな。投手陣は確かに凄いが、野手なんぞ平凡な記録しか残していない。それに比べて、実際に観た西鉄中西選手の本塁打は凄かった。三遊間野手が飛びつかんばかりの低い弾道のまま、左翼席最前列に突き刺さるのを目撃している。それこそ正真正銘の「弾丸ライナー」であった。
それともう一つ、後年の巨人軍も知ってるだけに、背番号1=南村、3=千葉、8平井、18=中尾などとあっても、何気に違和感を禁じ得ない。それぞれは、王貞治、長島茂雄、原辰徳、堀内恒夫を想起してしまうからだ。背番号1も3も今では永久欠番のはずだが、無論、南村や千葉ではなく、王と長島の業績を称えた措置に他ならない。永久欠番をいうなら、当時の選手としての功労者は川上唯一人ということになる。
*ご参考*
讀賣ジャイアンツ選手名鑑(昭和32年)
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