視覚障害に陥ってからというもの、旅行・読み書き等と並んで愉しみの一つだった昔の映画やテレビドラマの観賞までもが苦痛と感ずるようになってしまった。視野全体の10~20%程度が見難いだけなのだが、眼の中心近くが見難いため、めまぐるしい物語の展開にオツムが付いていけず(状況認識不能)、何が起こっているのかさっぱり判らないからだ。
つまり、既視の映画・ドラマなら物語を知っているので、音声を頼りにどんな場面なのかある程度想像が付くから何とかなるが、初見のものだと完全にお手上げである。喩えるなら、視覚主導のテレビドラマや映画を、ラジオドラマ並に聴覚主導で“聴いている”ありさまだから、ヘンテコに感ずるのも当たり前だ。
ところが奇妙なことに、最近よりテレビ創成期のものほど、視れば判るような台詞や語りが極力省かれており、無音の場面も結構出てくる。この“無音”状態というのは、何となく不気味であって不思議と視る側の緊張感を呼び覚ます。モノクロ映画・ドラマに漂う一種の緊張感は、何も視覚効果だけに止まらず、無音による不気味さを以てダメ押しする。これぞ、映画・放送業界が長年培ってきた伝統が墨守されていた証拠だと思う。テレビが誕生して半世紀(五十年)以上経過した現在、創成期の人々は全て第一線を退き、当時を知る人材がいなくなったせいもあろうが、昔日の面影を失いつつある映画・放送業界の行く末は寂しい限りである。
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いつまでも「視覚障害」を口実に愚痴っていてもはじまるまい。話題を替えよう。
ともに戦前は我国の統治下にあった隣国でありながら、戦後台湾人と韓国(旧朝鮮)民の対照的な対日感情が興味深い。一般に、台湾人は親日的で韓国人は反日とされる。コトの当否は別にして、自分自身にもそうした思いがあってか、台湾には親近感を覚える反面、韓国に対する印象は良くない。実際、1980年(昭和55年)の初訪台以降幾多の渡台歴を有するが、訪韓はたったの一回限りしかない。
日本統治前の台湾は、支那(清国)領だったとする説が有力だし、昔から支那人(漢民族)も住んでいたことも明白な事実である。しかし、大陸の支那本国からは、「化外(の僻地)」と見下されていたうえ、戦後の中国国民党軍による二・二八事件(台湾人虐殺)などがあって、大陸支那人に対する感情は必ずしも良くなく、「同胞」というよりむしろ「敵」に近い認識なのだとか。それらとの比較に於いて、異民族支配だったにも拘わらず、日本統治時代のほうがまともで良かったとする層が一定数存し、今日では若者世代の親日観へと繋がっているといわれる。このような歴史的経緯から判断するに、台湾は大陸共産中国とは価値観を全く異にする厳然たる「独立国家」と認めて間違いあるまい。論より証拠、中国でも日本でもない「台湾文化」が厳に存在しているのである。その点、未だに支那(現代中国)を宗主国と仰ぎ見るかのように媚び諂う韓国のほうがよほど中国文化圏の一員らしく映る。
ところで昨16日(土)、その台湾で総統選挙があり、野党民主進歩党主席蔡英文候補が圧勝したらしい。女性大統領(総統)という意味では、韓国の朴大統領と同じだが、対中国政策がまるで正反対なのが面白い。即ち、韓国朴氏が媚中派とすれば、独立志向の強い台湾蔡氏は嫌中派と言ったところか。大陸支那が大国意識丸出しで台湾を威嚇すればするほど、台湾人民の結束が強まるのだから、痛快ではないか。戦前の我国外交もこうだったんだがなあ。いつの間にか「土下座外交」と揶揄されるほど落ちぶれ果ててしまった。
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