目下、有料衛星放送【日本映画専門チャンネル(BS255)】にて、ショーケンこと萩原健一主演『俺たちの天使』(NTV;1974年)と松田優作主演『探偵物語』(NTV;1979年)が、並行して再放送されている。関係ないけど、双方の初回放送は石油危機騒動(オイルショック;第一次1973年・第二次1979年)と奇妙に符合する。ジャンル分けすれば、バイオレンスアクション(暴力活劇)物になろうか。初放送時の記憶が全くないのは、おのれの好みの対極ゆゑに、【視たことない】からに他なるまい。したがって、今回の再放送が初見というわけ。
で、今更どうして仕様もないB級ドラマ(註;飽くまで私的感想)を採り上げるかというと、今時の韓流ドラマに通じるものを嗅ぎ取ったためである。良し悪しは別にして、今となっては少なくとも日本の地上波放送では視ること能わず。放送局側の一方的な自主規制とやらで、これら(暴力・エログロetc.)を根刮ぎ摘み取ってしまったからだ。ところが、韓流ドラマには、プリミティブな形で今なお色濃く残っている。但し、利益社会(ゲゼルシャフト)先進国(?)だけあって、情感描写が超下手クソ。因って「エロ」に関してのみ、制作者の意図がどうであれ、視聴者をして劣情を呼び起こすような場面は皆無。いや、“作れない”と表現した方がより正確か。
暴力やエログロが好ましくないのは万人が認めるところだ。かといって目を反らしさえすれば、自然消滅する問題でもない。稀であれ度々であれ、誰しも遭遇し得る事象だろう。自分が国内ドラマを視なくなった原因の一つは、汚染社会から視聴者を護る名分か知らんが、無菌室にでも隔離されたかのような、現実逃避のお花畑ドラマに辟易したからでもある。世のオバサマ方が韓流ドラマに憧れるのは、案外【暴力=男っぽい】という在りもしない幻想に惑溺しているからかもしれない。飽くまで勝手な想像だが・・・。
例えば目下BS日テレで放送中の『鉄の王キム・スロ(金首露)』(韓国MBC2010年)。日本では殆ど採り上げられない古代(つまり、【神話の時代】)が舞台(半島南部伽耶国【日本名「加羅」】)なので、つい視始めてしまった。しかし、王座を巡る醜い権力闘争と安っぽい恋愛劇に収斂した単なるB級ドラマに過ぎず、勝手に期待した分、失望感が増幅する。
どうでもいいけど、ワン・ビンナ(왕빛나)さんが端役(斯蘆国<後の新羅>の王女役)で出ている。このドラマではわりかしまともだが、『メリーとテグの恋のから騒ぎ』(韓国MBC;2007年)では、おバカな金持ち嬢を演じており、本来がお笑い女優でないのに抱腹絶倒させてくれる芸達者な人である。『善徳女王』で視たように、後年伽耶は新羅によって滅ぼされるわけだから、歴史とは皮肉なものだ。
こうした韓流史劇を視るにつけ、底知れぬ違和感を覚えるのが【異民族支配】への倒錯した心理である。我々日本人は、終戦直後の約七年間を除いて【異民族支配】を受けた経験がないから、支配を受ける側の内心など知るよしもないが、主人公キム・スロは地元伽耶民(現代韓国民の祖先)でなく北方騎馬民族出身である。如何に《神のお告げ》とはいえ、異民族の彼を初代国王に祭り上げようというのだから理解に苦しむ。喩えるなら、戦後日本人がマッカーサーを天皇に据えようとするのと同じくらいおかしな行動と言わねばならない。
まぁ、日本人と韓国人は、外見が似ているだけで、物の観方・考え方となるとまるで正反対と言っても過言ではありませんですな。
*ご参考*
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