前稿で第27代新羅王善徳女王を採り上げた。七世紀の実在人物とされる。朝鮮半島経由かどうかは詳らかでないものの、三世紀頃には大陸の文字(漢字)が伝わり、八世紀に入ると「記紀」も編纂されて我国の歴史(国史)がようやく始まる。ドラマの信憑性を確認する意味で日韓関係史を調べるうちに、有史以前(神代)のことが急に知りたくなった。
少なくとも我国に限ると、文字による記録がないぶん、想像に頼るしかない。ところが、そのほうがむしろ空想が膨らんで却って関心をそそられる。例えば、三世紀の邪馬台国・卑弥呼。有史以前だから当然ながら我国に記録はないが、支那の『魏志倭人伝』という書物に出てくる。さすがは「華夷秩序」の国である。幾ら謙譲を美徳とする我国とはいえ、「倭人」「倭国(小さい国)」などと自らを卑下していたとはとても考え難い。「邪馬台国」「卑弥呼」も然り。ただし、こちらは音訳とする説が有力。「邪馬台国=やまと(大和国)」「卑弥呼=ひのみこ(日の御子)=天皇」。
この「卑弥呼」さんは女帝であったらしく、具体的には誰を指すのかという論争が我が国内でも喧しい。個人的には誰が何といおうと、「神功(じんぐう)皇后説」に与する。近世・近代(江戸・明治期)までは第15代天皇に列せられていたが、大正15年の詔勅により歴代天皇から外されたのだとか。
なるほど、夫の第十四代仲哀天皇崩御後、第十五代応神天皇即位まで六十九年間、「摂政」を司っただけで皇位を継がれた形跡はない。つまりはこの間、天皇座が空位だったことを暗示している。ところが、六十九年間は如何にも長すぎるし何だかウソっぽい。これでは、仲哀天皇と神功皇后の皇子である応神天皇が、60歳過ぎて即位されたことになってしまうではないか。まぁ、なにぶんにも「神話の世界」であり、この頃の歴代天皇はどなたも百歳以上のご長命とあって、まことにご同慶の至りである。
だからといって、短絡的に全て“噓っぱち”と早合点してはいけない。「記紀」は神功皇后の摂政期(推定200-269年)から約五百年後に書かれたのであるからして、八世紀頃の治世者層がそういう認識を持っていた、という事情があったに過ぎない。興味深いことに、「記紀」には神功皇后摂政期の逸話として『三韓征伐』が出てくる。
内容が件の『魏志倭人伝』とほぼ一致するため、これを神功皇后の事績に準えた「記紀」編纂者の創作(?)ではないか、と観る向きもある。それに、“三韓”とは、当時の高句麗、百済、新羅という朝鮮半島三国を指すのか、それとも半島南部の馬韓、弁韓、辰韓だけなのかの論争もあるようだ。なお、実際の戦闘記述は“対新羅戦”だけという。
その結果どうなったか。三世紀頃の朝鮮半島は、我国が一定の支配力を行使することになったため、高句麗、百済、新羅三国とも日本の属国として朝貢せざるを得なかったらしい。実際、半島南部には「任那」という邦人居住地が存在していたことも知られている。韓流ドラマ『善徳女王』の主題である“三国統一”という大義(野望)も、まさに真っ青な“歴史的事実”ですな。おゝ、愉快、愉快。
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