クラシック(古典音楽)に興味を覚えて半世紀(50年)以上が経過した。中一(昭和35年)の頃、音楽授業のレコード鑑賞コーナーがそもそものきっかけ。世は既にステレオ時代に入っていたにも関わらず、学校の再生装置は電気蓄音機(いわゆる“電蓄”)のままだった。教材レコードも戦前のSP盤が大半で、戦後のLP盤はごく少数だった気がする。いわんやステレオ盤に至っては、皆無に等しかった。
どんな曲を聴かせてもらったかというと、ドボルザーク『新世界』(ターリヒ/チェコ・フィル)、シューベルト『未完成』(ワルター/ウィーン・フィル)、『魔王』(マリアン・アンダーソン)、イタリア民謡(マリオ・デル=モナコ、エンリコ・カルーソーなど)、滝廉太郎『荒城の月』(中山悌一?)、ベートーベン『第九』(フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管?)etc.。おのれのクラシック蒐集に戦前録音が多いのは、この影響が甚大であった証拠だろう。
さっそく、ラヂオに繋げて聴く日本コロムビア製レコードプレーヤー(SP/LP/EP兼用、ステレオ盤はモノラルでしか聴けない)を親に買ってもらった。しかし、サンプラーレコードなど付いてないので、直ぐに聴くこと能はず。そこで取り急ぎ買ったのは、現物が行方不明で未確認ながら、朝日ソノラマの西部劇映画ソノシートだったと思う。
で、栄えあるクラシック第一号は、何とオーマンディ/フィラデルフィア管『新世界』と『未完成』の腹合せ(日本コロムビアOL-148)。ジャケット裏面を観ると著作権【'61.11】になってるから、昭和36年11月発売なのだろう。てっきり中学一年生時分に買ったとばかり思い込んでいたのに、記憶は案外アテにならないものですね。それに、最初がオーマンディのレコードとは、今にして思えば妙な取り合わせと感じなくもないが、当時は演奏の良し悪しが分かろうはずもなく、『新世界』『未完成』両方とも聴ける悦びがそうさせたのだろう。
オーマンディ盤が気に入ったわけではないものの、爾後すっかり「新世界ファン」になってしまった。レコードはオーマンディ盤のみだが、CDは数種所有している。
1.ターリヒ/チェコ・フィル(英ビダルフ:録音1941)
2.ターリヒ/チェコ・フィル(コロムビア:録音1949)
3.ケンペ/ベルリン・フィル(英テスタメント:録音1957)
4.ケルテス/ウィーン・フィル(キング:録音1960)
5.アンチェル/チェコ・フィル(チェコスプラフォン:録音1961)
『レコード藝術』1965(昭和40年)年1月号付録「作曲家別洋楽レコード総目録」を捲ると、雑誌発 売時点で上記六種とも録音済みだったにも関わらず、このうちカタログに載ってるのはケンペ盤とケルテス盤だけ。それというのも当時は 東西冷戦下にあって、東欧圏に属していたチェコ・フィルのレコードなど、なかなか手に入らなかったのかもしれない。件のオーマンディ盤は、モノラル録音だからか、それとも売れなかったのか既に廃盤の憂き目に遭っている。
余事ながらこの付録、今からちょうど半世紀(50年)前の発行ということになる。一昔どころか五昔も前となると、いろんなことが変わってしまうのですよね。“ドボルザーク”が“ドヴォルジャック”だし、今では交響曲“第9番”の『新世界』が“第5番”とある。同じドボルザーク関連で言えば、『アメリカ』の副題で親しまれている弦楽四重奏曲第12番も“第6番”になっている。この本ではないものの、別の書物では副題が何と“ニガー(ニグロ=黒人を指す侮蔑語)”だって。いいんですかね。
どうでもいいけど、歴史的仮名遣いに由来する「ヴ」や「ゐ・ヰ・ゑ・ヱ」などは、義務教育で教わらなかった気がするけど、これら一般の出版物ではよくみかけたし、例えば、“ベートーベン”が“ベートーヴェン”になっていても、ちゃんと読めましたよ。
話が逸れた。本題に戻そう。学校で聴いたレコード鑑賞時への懐かしさから、専らターリヒの戦前録音盤を愛聴していたが、モノラルだしティムパニが奥に引っ込んだ感じで録音が最良とは言い難い。ケルテス盤は発売時から評価が高かったが、都会的に洗練されすぎて今ひとつ好みに合わない。ケンペ盤はほとんど聴かず、アンチェル盤は女性的で喰い足りない。ところがですねぇ、次の組み合わせでアンチェル盤が豹変したのですよ。
・DAP = ソニーNW-A16
・DOCKケーブル = Fiio L5
・PHPA = FOSTEX HP-V1
・ヘッドフォン = ゼンハイザー MOMENTUM(オリジナル)
今まで、アンチェル盤は最も印象が薄かったのに、ヘッドフォンと真空管ポタアン(HP-V1)のおかげか、まるで別物のように甦った。『新世界』=【アメリカ】というより、これは【ボヘミア】の音楽である。チェコ・フィルの鄙びた金管が耳に心地よい。野性味溢れるティムパニも素晴らしい。再生装置の組み合わせによって、斯くも聴感が変わるものなのか、と驚愕した次第。
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