前稿では、ついゲマインシャフト(ドイツ語;Gemeinschaft)、ゲゼルシャフト(ドイツ語;Gesellschaft)なる学術語を持ち出してしまった。社会教育学を専攻した関係で、学問としての『社会学』に莫大な関心があるからだ。しかし、用語自体が一般的でないうえ、しばしば「共同社会」「利益社会」といった漢字で代用されるため、読者によっては意味不明、或いは誤解が生じたやも知れない。
人間の行動原理に基づいて平易な表現に置き換えると、血縁・地縁など個人意思に因らぬ自然発生的集合体を「ゲマインシャフト(共同社会)」、利害・損得といった打算や思惑(自由選択意思)に因って離合集散を繰り返す人工的集合体を「ゲゼルシャフト(利益社会)」と分類した学者テンニース(Ferdinand Tönnies)の学説である。
註)訳語中の「社会」が「=世の中全体(世間一般)」であるかのような誤解を避けるため、便宜上、以下「ゲマインシャフト=共同体」「ゲゼルシャフト=利益体」として書き記す。
彼は、文化・文明の進展とともに、共同体からやがて利益体へ移行すると唱えたが、本来両者間に明確な境界線はなく、また排他的関係にあるわけでもない。従い、喩えるなら前者が私的付き合い、後者は公的付き合いに似ていると言えなくもない。とは言え、一個人を私人か公人かで機械的に二分できないのと同様、集合体の一側面を以て便宜的に分類されているにすぎない。
ここに意外と自覚し難い“落とし穴”が潜んでいる。都知事時代の石原慎太郎氏が、靖国神社参拝にあたって『公式参拝か否か』を記者団に問われた際、『バカなことを訊くな!』と一喝したことがある。“失言・迷言”を引き出そうとする記者団の悪意に満ちた取材姿勢を見抜いての応答だが、まさに“名言”であった。要するに、公式・私的のどちらと答えようが、記者に都合良く脚色されて記事に載ることが目に見えていた、というわけだ。
社会的地位のある石原氏を例に採り上げたが、我々一般庶民とて変わりはない。卑近な例で恐縮だが、自分は企業内労組執行部に長らく名を連ねていた。ただし専従ではないため、日中は他の一般組合員と同じく職場で勤務に当たることになる。而して、昼間は単に一職員(従業員・社員)にすぎないのだが、必ずしも職場全体がその側面だけを観てくれるとは限らない。「労組執行部」という“看板”を日がな背負っているわけでもないのに。偶には労組絡みの相談を受けることもあるし、人によっては常に「労組執行部」という眼(意識)で観られていた。誰しも共同体と利益体の挟間を往き来せざるを得ないので、当人の思惑とは裏腹な、他者による“見え方”というやっかいな問題を孕んでいることは間違いない。
集合体(組織)の結束度で言うと、共同体のほうが遙かに強固なのだとか。それは、前稿で書いたTVドラマを視ていてよくわかる。その点、利害関係だけで結びついた作為的な目的集団(利益体)は脆い。カネの切れ目が縁の切れ目とばかりに、利益なしと観れば自身の意思で簡単に離脱する。時代劇なら、成功報酬を弾んだり、近親者(共同体)を人質にとったりして懸命に引き留めようとするではないか。これぞまさしく共同体の強固な結束力を示す証左であろう。
利益体式契約社会が一般的な西洋(欧米)と外見はともかく国民の間に共同体意識が根強く残る我が国を、同列に論じること自体がそもそもの間違いである。西洋諸国を絶対的な先進国家群と錯覚し、何でもかんでも無批判に模倣したがるから数多の矛盾が生じる。会社組織のアメリカナイズが、失敗の好例であろう。
伝統的日本型会社組織にも悪しき点がないではないが、年功序列式賃金、終身雇用制、ボトムアップ式稟議制など、概ね日本人の精神文化に適っていたから営々と続いてきたのである。なのに賃金体系が能力主義に変わり、結果次第で月給が乱高下する。コスト削減の名目で派遣(契約)社員が年々増加し、同一労働同一賃金の原則が崩れて職場の雰囲気がぎくしゃくしてくる。部署名や役職名が馴染みない横文字(英語)化され、会社ぐるみで外資系に身売りしたみたいになる。
細かいことだが、伝統ある社歌とか男子社員にとっての社章(バッジ)や女子事務員の制服は、謂わば帰属意識の醸成に欠くべからざる「小道具」としての役割を果たしていたのである。それが、今風のポップな社歌にされたら、重みがなくなる。バッジが新しく作り変えられ制服も廃止されたら、世間様が何処の社員だか見分けがつかなくなるではないか。
とりわけ、世間が認める一流校・一流企業の学生・社員にとって、由緒あるバッジや制服が一種の「ステータスシンボル(社会的地位の象徴)」でもあった。結果的にそれらを召し上げてしまったのだから、国民性を無視した暴挙と言わざるを得ない。昔、東海林さだお『ショージ君』だったか、勤務外にも関わらず、バーやキャバレー、雀荘など、所構わず“課長”の名札を首に括り付けて歩く風刺漫画さえあったほど。自分は逆でしたけどね。会社を退勤した途端、バッジを裏返しては好からぬ場所に出没していた次第。
エリート型組織の西洋とは正反対で、末端ほど優秀な人材が揃う伝統的日本型企業にあっては、“バカ殿様”でも経営が成り立つ絶妙な仕組みになっていたのですよ。
【追伸】
勤めていた会社のOB(OG)会から葉書が来た。都市対抗野球大会(東京ドーム)への応援依頼状である。入場券はタダ、しかも応援グッズ付きときたもんだ。
これですよ、これ。典型的なゲゼルシャフト(利益体)集団の会社という組織でありながら、まるでゲマインシャフト(共同体)集団であるかのように変身し、幹部も新人も退職者もなく会社が一丸となれるのは。高校野球然り。ただ遺憾ながら、我が母校は甲子園出場歴皆無。勢い、こちらに力が入る。しかもピッチャーをしている選手と同じ職場だった誼もある。いや、年齢的にもう現役ではないかも。
一介の企業が利潤追求目的にそぐわないノンプロ野球チームを持つなんて、科学的合理主義に立つ欧米ビジネスマンから観たら、大いなる「ムダ」もいいとこ。されど日本においては、この「ムダ」こそが仲間意識を高揚させる最大の原動力になっているのですよ。斯くも日本的な集団(組織)力学応用法は、個人主義的オツムで凝り固まった欧米人には、逆立ちしても真似できまい。
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