本日は朝から霙混じりの雨である。地上波なら天候には殆ど左右されない。しかし衛星放送の場合、雨や雪に頗る弱い。衛星放送はアンテナがアナログ仕様でも何とか視聴できた。ゆゑに、ケチって20年以上昔のおナベをそのまま使っていたが、ちょっとでも雨や雪が降ると受信不能になって甚だ具合が悪い。
そこで昨年、CS放送『時代劇専門チャンネル』を契約するにあたり、最新のデジタル用アンテナに買い換えた。すると、どうだろう。台風が来ようが補修工事で薦被りしていようが、視聴にはまったく差し支えなし。二昔前に比べると、技術は格段に進歩していることが窺える。したがって、工事用薦被りに加えて今日の空は雨模様にも拘わらず、視聴には何ら問題なし。むしろ、天候不良で工事関係者が足場を彷徨かない分、電波が遮られることもなくよろしい。
ということで、またぞろ『鬼平犯科帳』を持ち出しますよ。原作小説(文庫本)の第二巻に、《埋蔵金千両》という短篇がある。物語自体は、隠し金を巡る欲望剥き出しの醜い争奪戦にすぎず、少しも興味が湧かない。これのTV版は丹波版にはなく、オリジナルの松本版の外、リメイクされた萬屋版と中村版がある。
* テレビ版《埋蔵金千両》 *
☆ 松本幸四郎版(NET-TV+東宝、放送日;昭和44年12月30日)
・監督;古川卓巳、脚本;池田一朗、音楽;山下毅雄
・土蜘蛛の萬五郎;菅井一郎
・婚期を逸した百姓娘おけい;左時枝
・瀬川の利吉;玉川伊佐男
・中村宗仙;成合晃
・萩原市之進;早川研吉(原作になし)
・村松光三郎;椎名勝巳(原作になし)
☆ 萬屋錦之介版(テレビ朝日+東宝、放送日;昭和56年7月14日)
・監督;大洲斉、脚本;松浦健郎、音楽;木下忠司
・土蜘蛛の萬五郎;加藤嘉
・おけい;鹿沼えり
・瀬川の利吉;永井秀明
・中村宗仙;北九州男
・おけいの片想い相手=百姓の次男坊;石田信之(原作になし)
☆ 中村吉右衛門版(フジテレビ+松竹、放送日;平成5年3月17日)
・監督;増田明廣、脚本;古田求、音楽;津島利章
・土蜘蛛の萬五郎;中丸忠雄
・おてい;中島唱子(原作では「おけい」)
・瀬川の利吉(名前が出るのみで登場せず)
・中村宗仙;大前均
原作(小説)に忠実という意味では、中村版が筆頭だろう。ところが、原作自体が面白くないのだから、TVドラマになっても退屈でつまらないこと窮まりなし。あまつさえ、“演技する”というより“演技させられる”感じで、気のない台詞廻しがかったるい。逆にデフォルメの限りを尽くしたのが松本版で、原作にない登場人物も多数。図らずも抱腹絶倒の喜劇調に仕上がっており、面白味ではこれが一番。《図らずも》と書いたのは、制作者をして端から“喜劇”にする意図はなかった、と想像するからである。
俳優たちは役柄に成りきって大真面目に演じている。この物語の主人公土蜘蛛の萬五郎を演じる菅井一郎は、戦前から名脇役で生らした人。元来が喜劇役者ではない。だからこそ、その一挙手一投足が悉く笑いを誘うのだ。コメディアンとは違う、一種独特の味がある。
物語のキモは、埋蔵金争奪戦の渦中で唯一人生き残った「おけい」を、なぜ鬼平が許す気になったのか。【ああした女は、根は悪くないものだ。きれいな衣裳をまとい、椎茸髱なぞに髪を結い、俺なぞを見ても見向きもせぬような偉い女が、江戸城の中にうようよと泳いでいるが、あいつらの悪事ときたら、酷いものさ。ところが、御城と将軍家の御威光で、悪事が悪事にならぬ。それに比べたらおけいなぞはずっとましだわ】の言葉がそれを暗示している。
原作に書かれたおけいの容姿等の外見には目もくれず、正直で働き者かつ天真爛漫な普段の心根に着目したのが松本版。若かりし頃の左時枝が好演している。反対に外見を原作どおり再現したのが中村版だが、何の取り柄もない単なる無知な百姓娘といった風情で、ときとしてウソを吐くなどやや性質悪く描かれており、鬼平が許すには今一つ合点がいかない。両作の中間にあるのが萬屋版で、おけいには好きな男がいて、その男に貢ぐため、埋蔵金をせしめようとしたことになっている。これも説得力に乏しい。
関係ないけど昔の時代劇の場合、「殺す」などという刺激的な言葉は、あまり用いられなかった気がする。主に「斬る」や「倒す」の語が遣われ、せいぜい「殺(あや)める」が最大級の表現だったのではなかろうか。この「殺める」は「危める」とも書くから、意図を強く感じさせる「殺す」より、遙かに意図性が薄いように思う。
また「自殺」も、「自害」「自決」「自刃」などと、昔は状況に応じた適切な語があった。確かめたわけではないが、現代といえど《時代劇》に「自殺」の語は用いられないのではなかろうか。
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