初訪台は1980年(昭和55年:民國暦69年)の12月。今でも憶えているが、ビートルズのジョン・レノンが暗殺された翌日のことであった。初海外旅行のハワイ旅行(1977年)が羽田空港発着だったのに対し、その後開港した成田空港(当時は「新東京国際空港」と呼んでいた)から飛び立った。
今でこそ大都会に変貌を遂げているが、初めて観る台北の街は、昭和30年代日本の地方都市みたいな印象を受けた。労組仲間4人とのグループ旅行だったので、渡台経験のあるヤツの言いなりに、台中、高雄なども観光して回った。当時の台湾は蒋経国の時代。未だ戒厳令下にあって、鉄道の橋やトンネルの要所には歩哨が立っていたし、ビルには「非常口」表示が大きく貼られ、地下壕などもあった。
おっと、個人的な話が趣旨ではないので、さっそく本論に入りましょう。1980年代の台湾歌謡界は、ちょうど転換期に差し掛かっていたのではなかろうか。それまでの伝統的な演歌調歌謡曲(北京語・台湾語)が次第に隅に追いやられ、「校園民歌(「学園ソング」といった意味)」と呼ばれるジャンルが確立しつつあった。伝統的な台湾歌謡曲に対しては、後者が台湾ポップスに分類される所以でもある。
日本で言えば、昭和40年代。戦前から続く伝統的な歌謡曲に対し、当時カレッジ・ポップスやカレッジ・フォークと呼ばれていた「和製ポップス」の分野が確立した時代と符合する。したがって、『小さな日記』(昭和43年)みたいな曲の台湾でのカバー盤は、「校園民歌」の範疇として扱われている。ただ、ややこしいのは、必ずしも「学園」が発祥地やテーマではないところ。
これからご紹介する曲は、飽くまで個人的趣味に基づくピックアップであり、ヒットしたか否かは二の次であることを予めお断りしておきます。
中華民國頌
by 費玉清(ふぇい・ゆぃちん)
費玉清という歌手は、こうした大陸的壮大な歌唱を得意としており、中国大陸でも人気が高いらしい。実際には1978年の曲だが、再発売されたのか行く先々の至る所で耳にした。1970年代の台湾は、日本との断交を始めとして、国際的孤立を深めた時期であり、殊更“愛国心”が叫ばれた時代でもある。この歌は「愛国歌曲」の一つに数えられる。
出塞曲
by 蔡琴(つぁい・ちん)
これも「愛国歌曲」の一つ。カラオケ映像版もあるが、肝腎の蔡琴さんは登場しないし、歌を聴くのが主目的のため、音質のよいものを埋め込んだ次第。前述の費玉清と並んで、蔡琴さんも当時人気絶頂。テレビを点けると、どのチャンネルでもお目にかかれたほど。
月琴
by 鄭怡(ちぇん・いー)
民族楽器を取り入れたりして殊更「中華民国(「台湾」ではなく)」が強調された時代。それにしても、この頃の「校園民歌」は、総じて曲調が暗いですねぇ。これも時代の反映だったのだろうか。当時、鄭怡さんは19歳。その後のヒット曲には恵まれなかったようだ。
請你對我説
by 鮑正芳(ぽぅ・ちぇんふぁん)
前稿でも採り上げた鮑正芳さん。さすがに母国語の歌だけあって、張り切り度合が違いますね。鮑正芳さんは「校園民歌」畑ではなく、「アイドル歌手」に分類される。曲調もグッと明るいでしょう?
夏之旅
by 蔡幸娟(つぁい・しんちぇん)
今やテレサ・テンの衣鉢を継いで、台湾を代表する歌手の一人となった蔡幸娟さんだが、これがデビュー曲。当時、まだ14歳の一中学生に過ぎなかったのである。でも、この頃の飾らない、気取らない素直な歌い方が最も好感が持てる。
以上、おしまひ。
【追伸】
珍しや、甄秀珍版『請你對我説』を見つけました。いや、まてよ。よく観ると『請你對他説』になってるぞ。
う~む、声量がある歌手向きの曲ですね。囁くような声じゃ漲る躍動感が出ないなぁ。
コメント