今月末から、恒例のタイ国チェンマイへの旅行を目論んでいるのだが、円安傾向が加速して止まらない。先ほどバンコク銀行の為替レートを覗いてみたら【¥100-=28.08฿】まで下落していた。今年6月の訪タイ時が【¥100-=31.12฿】だったから、一割ほど日本円の価値が下がったことになる。
僅か10%と侮る勿れ。仮に10万円両替しても、6月時の9万円相当に目減りしている。つまり、1万円札一枚失くしたのと同じこと。おのれの責に因らないのに、あんまりじゃありませんか安倍さん。《アベノミクス》とは、日本国民(=庶民)の味方ではなく、我が国民性とは相容れない人たち(オツムが米中病に冒された銭ゲバ財界人)のためらしい。
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閑話休題、当段落以降が本日のメインテーマ。
《懐メロ》に関し、前稿ではレコード(古い録音)を“「音」の缶詰”などと書いた。だが、これは当方のオリジナルではない。実は、DVD『昭和の缶詰』という子供向けニュース映画を所有しており、これをヒントにちゃっかり借用させてもらった。《懐かしの映像》と《懐メロ》を同列に扱ってみた次第。
DVD(ビデオ・フィルム)やCD(レコード)といったオーディオ・ビジュアルな記録媒体は、記録された当時がそのまま「缶詰」になっているということ。この映像や音は、後世の人たちに伝える“タイムカプセル”としての役割も果たす。
ところで先日、BS日テレで東宝映画『ALWAYS三丁目の夕日』(2005年)を放送していた。実はひと昔ほど前、パラオへ行ったとき、JALチャーター機(B757)内のAVODで観ている。エコノミー席が満席とかで三万円程度の割増料金を払ったが、「らくらくシート」とかいうビジネスクラス相当の座席だった。
話が逸れるが、このパラオ共和国。戦前は日本の統治下にあって南洋庁が置かれていたところ。世界でも有数の親日国家で、先の大戦における日本軍施設等がそのまま保存或いは復元されている。独立前は米国の施政下だったせいか、公用語は英語だしお金は米ドル。要するに、独自の言語や通貨を持たない国である。とは言え、民族言語がないわけでなく、その中には多くの日本語が含まれると聞く。
さて、昭和33年を舞台とした『三丁目の夕日』が、果たして《昭和の缶詰》と言えようか。結論を先に書くなら、答えは“否”。なぜなら、《時代劇ドラマ・映画》と同じく、後年に撮られているからである。この映画の場合は、《昭和》の時代を平成の御世になって撮っている。
従って、確かに精巧に作られてはいるが、【昭和33年】を実体験した者にすれば違和感がある。《懐メロ》に喩えるなら、同一歌手ではあるがオリジナル録音でなく、後年のステレオ再録音盤を聴かされた感じ、とでも言おうか。本物のように見えて実は本物でないことが見え見え。なぜか? 撮られたのが平成17年(2005年)なら、俳優も制作スタッフも、幸か不幸か当時なかったパソコンや携帯電話等数多の“文明の利器”を知ってしまっているからである。
昭和33年は未だ【尺貫法】であった。ゆゑに、肥った相手をからかうとき、《百貫デブ》と称した。現在は【メートル法】、かといってわざわざ百貫=375㎏に換算し、《375㎏デブ》と呼ぶ人など居りはしない。表現(言葉)自体が消滅してしまったのである。因みに、これが件の映画で遣われていたわけではないので誤解なきよう。
昭和33年と言えば、TV映画『月光仮面』が登場した年である。我家には未だテレビがなかったので、リアルタイムで視たわけではないが、関東へ引っ越し(昭和37年)て、TBS-TVの再放送で知ってたし今はDVDも所有している。その第1部第2話では、建設中の東京タワー(展望台より下の鉄骨のみ)が写っている。増上寺境内から観た景観だが、辺りは野っ原でビルらしい建築物など一つも在りはしない。
『三丁目の夕日』では、如何にCG技術を駆使しようとも、こんな細かい場面まで再現できなかったようだ。この映画は平成を生きる人々が昭和の時代を再現してみただけのことである。その点、昭和の時代を単に懐かしむだけなら相応に愉しめようが、所詮は「バーチャル世界(夢物語)」にすぎない、ということ。
☆ 映画『三丁目の夕日』予告篇(平成17年)
☆ TV映画『月光仮面』オープニング(昭和33年)
【 追 伸 】
どうでもいいけど予告篇に、《集まれば、そこが暖かかった》とあるが、「暖」と「温」の用法が違うように思う。自然気象では主に「暖」を遣うが、感性に関しては「温」のほうが相応しいのでは。
用例;暖流、寒暖の差、暖かい日、温情、心温まる、温かい義捐金
また、《豊かではなかったけれど、明日への夢があった》のキャプションも、後付の誤った思い込みと言わざるを得ない。小学五年生だった私奴の感覚では、時代の最先端を生きていたわけだし、戦時体験者の大人たちが羨むほど豊かで便利な恵まれた世の中だった。ゆゑに、実感として豊かでない(=貧乏で恵まれない不幸な時代)などと思ったことは一度たりともない。これ、ウソ偽りのない“真実”である。
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