またまたご無沙汰してしまった。言い訳がましくなるが、オリジナル版の『鬼平犯科帳』(昭和44年;松本幸四郎-八代目-)視たさで、古いアナログアンテナをわざわざBS・CS110度デジタル放送用に買い換えた。そして、七夕さまの日(7月7日)に《時代劇専門チャンネル(CS292)》を契約して以来、録画三昧の日々だったのだ。
【スカパー!】が未だ【パーフェクTV(現;スカパー!プレミアムサービス)】と称していたCSアナログ放送時代('90年代)に、一時期契約していたことがある。その時は、古い邦画(衛星劇場)を視るためだったが、韓流ブーム以前の韓国語チャンネル(KNTV)では、原語のまま(番組の一部は日本語字幕付)放送していた。
ところが先日、突然不具合が発生した。寝ぼけ眼でパソコンに目をやると、留守録中の画面が【放送休止中】となっていて、録画に失敗。PCを再起動したら、録画は行えるようになったものの、なぜかBD、DVDへのムーブが出来ない。それまでにBD/DVDへ移し替えた分は事無きを得たが、HDDへ保存されていた録画済みファイルも専用ソフトで視聴可能なるもムーブに関しては全滅。
製造元のサービスセンターへ問い合わせたりして、何とか新規録画分からはムーブ可能となった。物理的な思考が苦手なため、何が何やらさっぱりわからない。ムーブ不可の録画済みHDD保存分も視聴は出来るが、容量を食っていずれ消去せざるをえない。まあ、僅か数番組ほどを諦めれば済む話なのだが、何とも口惜しい。物語に連続性がある韓流ドラマと違って、日本のドラマは概ね各話毎に物語が完結するスタイルを採っているのが救い。途中の一話が欠けても物語への影響は軽微で済む。
余談はさておき、このチャンネルの番組を視ていて、面白いことに気がついた。或る時期(おそらく'70年代初頭)を境に、戦前からの伝統的価値観に基づく時代劇が次第に廃れ、戦後的価値観による新しい時代劇が伝統的な番組作りに取って代わってしまった、ということ。
明確な線引きが出来るわけではないが、1972年(昭和47年)の『木枯し紋次郎』(フジTV)と、それに対抗して作られた同年の必殺シリーズ『必殺仕掛人』(朝日放送)辺りが魁けではなかろうか。一方、伝統的時代劇の長寿番組としては、TBS-TVの『水戸黄門』(昭和44年~)と『大岡越前』(昭和45年~)、フジTVの『銭形平次』(昭和41年~)などが挙げられる。これら伝統的時代劇に共通するのは、家族ぐるみで愉しめる点。
対する戦後的価値観(はっきり言って“アメリカニズム”)に基づく戦後派時代劇は、当たり前ながら個人主義的色彩が色濃い。勢い、家族ぐるみで愉しむような代物ではない。オリジナル版『鬼平犯科帳』(八代目松本幸四郎主演;昭和44年)はリアルタイムで視た記憶があるもののなぜ毎回視てなかったのか、理由がわかった気がする。
昭和44年と言えば自分はまだ学生で、自宅(実家)から通学していた。一家にテレビは一台しかない。今視ると『鬼平犯科帳』には、濡れ場や絡みが頗る多い。既に成人していたとは言え、とても親兄弟と一緒に視る番組ではなかったのだ。それでも、モノクロームの映像が妙に迫力があるし、山下毅雄のテーマ曲とオープニングから「当時」が甦る。
『鬼平犯科帳』をどちらに分類するかは微妙なところだが、少なくともオリジナル版を視る限り、随所に伝統的時代劇の手法が踏襲されていて、“戦後派時代劇”とは一線を画している。主演が替われど長寿番組の一つだから、それぞれの作風を比較してみるのも一興。
初代鬼平の八代目松本幸四郎版は貫禄十分。“鬼平”と呼ぶにふさわしい情け容赦ない一面が強調される。役者も歌舞伎・落語・映画界人が主流で、所謂テレビの申し子と呼ぶべきマルチタレント(何でも屋芸能人)的出演者は殆ど居らず、生真面目な作風である。続く丹波哲郎版は音楽も同じ山下毅雄で、オリジナル版を踏襲しつつ、ややくだけたコミカルな側面も覗かせる。
萬屋錦之介版になると現代サラリーマン気質を彷彿とさせる木村忠吾(荻島真一)をはじめ、マルチタレントの出演が目立つようになり、作風にも“戦後派時代劇”の要素が加わってくる。中村吉右衛門版の四代目ともなると、昭和から平成に御世が代わったこともあり、伝統的時代劇というより戦後派時代劇と呼ぶほうが似つかわしいほど様変わりしてしまう。総じて演技が“芝居っ気”に満ちており、「こしらえもの」の感を否めない。それと出演者の着物姿にぎこちなさがあるし、立ち居振る舞いも「時代劇」のそれではなく、現代生活様式そのまま。もっといえば、オリジナル版に比べると、物語展開のテンポも悪く、間延びした感じ。
まぁ、長谷川平蔵は実在した人物だが、池波正太郎が時代小説化した時点で“創作”された「物語」なので、いろんなバージョンがあったほうがよいに決まっている。丹波版には別の意味でのおもしろさがあるものの、私奴にとっての鬼平はやっぱり松本幸四郎でなくっちゃね。何だか時の流れとともに、興が削がれていく気がしてならない。
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