「時差ボケ」は、いったいどのようなメカニズムになっているのだろう。チェンマイ滞在中、せっかく良い習慣(早寝早起き)が身についたと思っていたら、帰国した途端、遅寝遅起き(?)の年寄りにあるまじき生活サイクルへ逆戻りしてしまった。別に「熱帯夜」で寝苦しいわけではなくW杯サッカー観戦のためでもないのに、とにかく眠気がささないのである。
勢い、夜が白む時間(午前4時半頃)にようやく眠りに就き、目が覚めるのが正午近くといったありさま。なるほど上記リンク先ルフトハンザ航空の解説によると、西へ飛ぶ(例;日本からタイへ)より、東へ飛ぶ(例;タイから日本へ)ほうが時差ボケ解消に時間がかかるらしい。
思い起こせば1990年代、まだ現役だった頃、独墺旅行から帰ってすぐに、民事裁判の証人として呼ばれていた。しかし、午後からの裁判に寝過ごして間に合わず、証人不在で開廷出来ないという我が国裁判史上に一大汚点を残す前科(?)があったのでした。この珍事、サマータイムを記事にしたあの時の旅行直後ではなかったかな。
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旅行中、『鬼平犯科帳』と『木枯し紋次郎』を録画しておいたことは、前稿でも書いた。『鬼平犯科帳』のことは何度も採り上げているので、本稿では『木枯し紋次郎』を記事にしよう。
『鬼平犯科帳』が、長期人気シリーズ物の『水戸黄門』や『大岡越前』と同様にTV時代劇の王道だとすれば、この『木枯し紋次郎』は全くの異端に属する。原作の笹沢佐保より演出者(監督)市川崑の意向が全面に押し出されており、外見上は股旅物の体裁をとっているものの、はっきりいって“日本版西部劇”の色彩が強い。つまり、時代設定が天保年間(1830~44年)のようだが、むしろその頃の米国を舞台にした西部劇TV映画『拳銃無宿』や『ガンスモーク』を日本風にリメイクしたような作風である。
実はこの『木枯し紋次郎』、放映時間が夜遅かったこともあって、昭和47年の初放送時、毎回欠かさずではないがリアルタイムで視ていた。そして、主題歌『だれかが風の中で』のドーナツ盤も買って持っている。だからといって、必ずしも好きな部類の曲というわけではない。なのに買ったのは、流行に敏感な年頃(24歳)だったのでしょうね。
木枯し紋次郎オープニング(昭和47年)
本来フジTVの作品なのに、再放送がBS-TBSとはどういうことだろう。昭和期の『鬼平犯科帳』も、NET(現;テレビ朝日)制作にも拘わらず、再放送しているのはBSフジである。テレビ局事情は皆目わからないが、放映権さえ買えば系列など関係ないということか。そう言えば、東京12チャンネル(現;テレビ東京)の開局(昭和39年)当初、ドラマ番組は自社制作よりNHKや他民放制作の再放送が多かった気がする。
リアルタイムで視ていたはずなのに、物語や特定シーンなどまったく憶えておらず、初見のような頼りなさである。せいぜいYouTube動画のオープニング映像だけが記憶に残ってる程度。主題歌も好き嫌いは別にして、辛うじて耳に残っている。こんなに暗く陰鬱だったかな、と首を傾げたくなるほど茶の間の娯楽には成り難い作風である。
薄汚れた合羽に破れ三度笠という乞食みたいな渡世人が主人公というのもこれまでにないパターンだが、多くは「華」として登場するはずの女優陣も、多くが拝金主義の悪女役というのだから、何をか言わんやである。どうしてこんな利益社会(ゲゼルシャフト)を地で行くような作品が、持て囃されたのか理解に苦しむ。おそらく、当時としては物珍しかったのであろう。それが今や日本のドラマは王道を踏み外し、暗く陰鬱な「木枯し紋次郎型」が主流になってしまった。しかも説教調まで加わっては敵わない。偶に視るならそれもよかろうが、毎日見せられてはねえ。おぉ、やだやだ。
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