お約束のDVD版TBS『おやじ太鼓』(昭和43年)視聴評です。白黒画面である第十回(30分番組;正味25分)までしかまだ視ていないものの、とにかく懐かしい。放送当時、毎週欠かさず視ていたはずだが、不思議なことに「あらすじ」は全く憶えておらず、まるで初見のような錯覚を覚えてしまった。
シーンの大半が主人公鶴亀次郎(進藤英太郎)宅なので、「TV映画」というより「舞台劇」に近い。しかし、【戦後】と呼ぶにふさわしい台詞や情景が随所に出て来る。両親(母;風見章子)の会話は、決まって戦時中の苦労話。父(男)が家で寛ぐときは丹前姿。母(女)も着物姿。要するに和服が普段着だったのだ。我が家も昭和30年代までそうだった。
七人の子供たちも、“戦中生まれ”と“戦後生まれ”とで性格分けがなされている。即ち長男(園井啓介)、次男(西川宏)、長女(香山美子)は基本的に物静かで従順な伝統的日本人タイプ。対するC調な三男(津坂匡章=現;秋野太作)、左翼戦士の次女(高橋木聖)、遊び好きな四男(あおい輝彦)、おませな三女(澤田雅美)は典型的なアプレ(戦後派)タイプ、といった具合。
両親の会話に、今となっては「死語」と化した言葉が飛び出して面白い。当時、学生運動の“神器”の一つに「ヘルメット」があった。次女のそれを指して「鉄兜」だって。親父さんは建設会社社長なのだから、「ヘルメット」ぐらい被るだろうに。まぁ、これは、戦闘用と業務用とを区別して言わせたシナリオライターの配慮ですかね。また、「トイレ」のことを誰もが「便所」と言っている。末っ子の三女でさえそうですからね。「トイレ」の語が広く普及する以前であることが窺えて興味深い。
どうでもいいけど、「便所」から「トイレ」に呼び方が変ったのは、いつ頃だろう。想像するに、昭和50年代に入ってからではなかろろうか。上流階級女性の一部が、恰好つけて『おトイレ』と称していたような気がする。それを捩って自分も、『録音しに行く』(おトイレ=音入れ)などと洒落てた時期があったなぁ。
レギュラー出演者以外では、次女幸子の友人役で西尾三枝子さんが出ている。どちらかといえばあまり似合わぬ翳り多き役どころだが、関係ないけど同じ九州生まれの同学年なので、性別は違えど当時の自分の有様が甦って頗る懐かしい。
総評として、ホームドラマ全盛期の日本は、“旧き佳き時代”であったことを彷彿とさせてくれる。とにかく悪役が一人として登場しない。登場人物は、善人でも悪人でもない“平凡な人”ばかり。好い例が主演の進藤英太郎。映画では憎々しげな悪役で生らした俳優だが、怒鳴り散らしはすれど家族のことを人一倍気に掛ける父親役を好演している。
物語も平凡そのもので、何か重大事件が発生するわけでもなく、何処にもありそうな日常生活が淡々と描かれるだけ。事件と言えば、せいぜい大学入試に落ちたとか、全学連(学生運動)に参加したとか、誰某を好きになったとか、他人にとってはどうでもよい出来事でしかない。しかし、本人や家族にとっては一大事件に相違ないことぐらい、容易に想像がつく。
実は、“旧き佳き日本”を想起させる伝統的な手法が、此処に隠されているように思う。制作スタッフの大多数は、おそらく戦前教育を受けた“教育勅語世代”であったろう。具体的には、制作者側の主義主張は胸に納め、偽らざる日常生活を描くことにより、視聴者をして或る登場人物に自身をダブらせ、ともに考えてもらおうとするかのよう。このことは、教えるのではなく、学ばせようとした戦前教育の手法に通じている。
ところが、今日ではどうであろう。西洋発の科学的合理主義や生命至上主義に基づく制作者の意図も露わに、それを台詞にして語らせるから妙に説教調である。しかも、物語が悲惨で陰鬱で暗い。こちら(視聴者)の価値観・歴史観に合致していればよいが、そうでなければたまらなく嫌になってしまう。後年、ドラマの類から遠ざかってしまった一因が此処にある。戦後民主主義教育の弊害、ここに窮まれり、と言わざるを得ない。
最後に、高梨木聖さんとの関連で書いたTBS-TV『咲子さんちょっと』(昭和36年)の主題歌が聴けるサイトを見つけたので貼っておきます。
映画『サザエさん』の小泉博・江利チエミが主演だったから、どうもマスオさんとサザエさんのコンビと錯覚してしまう。当時を象徴するかのような、明るく健康的な歌声が心地よい。そういえば、映画のワカメちゃん役はTV版『月光仮面』の猿若久美恵さんでしたね。
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