前稿で採り上げた『おやじ太鼓』のDVDが届いた。まだ視てないので論評などは次稿以降に回すとして、またしても国民性(民族性)の話題ですみません。でも、今回は少しお遊び的要素が加わる比較的軽いテーマです。
引用元の『RecordChina』日本語サイトがどんな意図を以て情報発信しているのか知らないけれど、中国ネット上の掲示板や注目記事を邦訳して日本人ユーザーの需要に応えている。今回採り上げる記事は、おそらく主として中国男性の日中女性観であろうが、“遊び半分”にせよ、尽く日本女性を礼賛していて面白い。個々の項目を検証してみよう。さすがは利益社会(ゲゼルシャフト;利害関係で結びついた社会)先進国、と唸りたくなるほど赤裸々ですよ。
1.児童教育の違い。
日本の女性は子どもに勇気を持って悪と戦うよう教育し、たとえ犠牲になってもそれを栄誉なことだと教える。中国の女性は子どもに悪と出会ったら逃げるように教育し、神様が悪を懲らしめてくれると教える。
果たしてそうだろうか。それは戦前の話であって、今や中国女性(母)と大差ないのではないか。ウチには子供もカミさん(“神様”でなく“山の神”のこと)も居ないからあくまで想像だが、「逃げろ」は極端にしても「関わるな」程度には劣化しているように思う。中国女性の教えは、部隊を置き去りにして真っ先に逃げ出す中国軍指揮官のことが脳裏にあるようで、思わず笑ってしまった。
2.愛国心の違い。
日本の女性は、日本が世界で一番素晴らしい国だと考えている。中国の女性は、ほかの国に魅力を感じる。
世界一素晴らしいと考えているかどうかは別として、日中女性間の自国観の違いが、即ちそのまま「愛国心」に直結している。前々稿で書いた《中国人には「愛国心」がない》(青木直人氏の言)は、まさにこのことを指して言ったのだ。つまり、日本女性には自国への「信頼」からくる「誇り」と「自信」があるのに対し、中国女性は自国を懐疑的に眺めがちで全然信用してない、ということ。
自国民から信用されてもないのに、「愛国心」を持てと強要する国家指導者のほうがどうかしている。逆に、自然な形で「愛国心」を抱いている国民を有しながら、殊更「愛国心教育」を声高に叫ぶ我が国政府・与党も、可笑しさでは“似た者同士”と言わねばなるまい。
3.恋愛の違い。
日本の若い女性は自分と年があまり変わらない男性と付き合い、一緒に奮闘する。中国の若い女性は金持ちの年寄りを探す。
如何にも利益社会先進国(?)の中国女性らしい物凄い恋愛観ではある。わざわざ“年寄り”を選ぶのは、莫大な遺産を残して早く死んでくれそうだから、こんな良縁はまたとない、と考えるのだろうか。
4.婚姻感情の違い。
日本の女性は普通、外国人に嫁ぎたくないと考える。中国の女性は、外国人と結婚することに無限の栄誉を感じる。
先の「2.愛国心の違い」に通じる項目だが、ある意味、日本女性のほうが現実的な結婚観を持っているように思う。それに比べ中国女性は、現実より夢を追うロマンチストとして、危うい印象を受ける。
5.母親の教育の違い。
日本の母親は娘が嫁ぐ際に、夫に尽くし、姑に孝行するよう教える。中国の母親は娘が嫁ぐ際に、何としても夫の財産を管理するようにと教える。
これも、戦前の日本女性観ではないのか。今は男女同権の時代なれば、単に役割分担して補完し合う関係にすぎなかろう。ただ、日本女性が中韓女性と決定的に違うのは、婿養子でも迎えない限り嫁に行けば夫の姓を名乗ることになる点。結婚後も姓が変らない中韓女性とはわけが違う。“嫁入りする”とは、親許を離れ名実ともに他家の一員になることを意味する。
韓流ドラマ『ドキドキMyLove』(KBS;2011年)に面白い場面があった。単身韓国で暮らす中国娘が韓国男と結婚するに当たり、夫婦の財産管理を巡って対立するというもの。中国母娘は『夫婦の財産は、妻が管理するのが当たり前』と主張するのに対し、男権社会である韓国側は『家族の財産は、すべて家長である夫の物』と譲らない。
他人様の論争なので面白がって視ていたが、自分は中韓どちらにも住みたいとは思わない。だって、日がな騒々しいんだもの。
6.夫への態度の違い。
日本の女性は夫を励まし、気にかけ、遅くまで仕事をして疲れて帰宅すると「お疲れさま」と言って迎えてくれる。中国の女性は夫に文句を言い、遅くまで仕事をして疲れて帰宅すると「どこをほっつき歩いてたの?」と言う。
日本でも夫を立てる女性は絶滅危惧種に近いような気がするが、これは中国人男性が、自国女性の横暴に皮肉を込めた言い回しだろう。
7.金銭感覚の違い。
日本の女性は男が貧乏なのを我慢できるが、意気地がない男には我慢できない。中国の女性は意気地がない男には我慢できるが、金のない男には我慢できない。
これも強烈な皮肉ですね。何度も繰り返して恐縮だが、「屈服統治」と「悦服統治」という歴史的経緯の違いが、中韓と我が国との民族性や伝統文化を二分してしまったよう。中国男性の自国女性を観る目は《奴隷道徳》そのものと言ってよい。
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