この年、辛くも高校へ進学できた。と言うのも、ハンディキャップがあって、千葉・鎌ヶ谷町(市制前)の中学校へ移って半年しか経ってないのに、高校入試で郷土史が出題されたんじゃもうお手上げ。入学後わかったことだが、限りなくビリに近かった。
歌謡界に目を転じると、童謡歌手や米軍キャンプ巡りで身を興したジャズ・ポップス系歌手には戦後世代も居たが、歌謡曲分野はまだまだ戦前・戦中派で占められていた。ところが、この年の『高校三年生』が火付け役となり、のちに“青春歌謡”とか“学園物”と呼ばれるジャンルが確立すると、ポップスからの転身組を含めて戦後世代が大挙出現することになる。自分とほぼ同世代とあって、歌謡曲がより身近なものとなってゆく。
この頃まで、純邦楽の歌謡曲より、ポップな洋楽系楽曲を好んだ。けれども、これらを然も賢しらに解説する湯川れい子や星加ルミ子といった面々が大嫌いだった。なぜなら、渡部昇一教授じゃないが、我ら同胞の感情を逆撫でする「敗戦利得者」の臭いを嗅いでしまったのですよ。自分は天の邪鬼だから、彼女らが褒める歌手や曲は、死んでも聴きたくなかったほど。
☆ 恋の売り込み(昭和38年) - 伊東ゆかり
エディ・ホッジスをオリジナルとするアメリカンポップスの日本語カバー盤なれど、「流行歌」という範疇では、『スーダラ節』に次ぐ2枚目の所蔵レコード。のちに歌謡曲へ転身してすぐ熱は冷めたけど、恥ずかしながら一時的なファンだったことがあるのですよ。壊れて破棄した憶えはないので家捜しすれば出てくると思うが、久しぶりに聴いて何だか顔が赤くなってきた。
☆ エリカの花散るとき(昭和38年) - 西田佐知子
流行った当時、「エリカ」とは人名だとばかり思い込んでいた。好きな歌手ではなかったし、歌詞など気に掛けずBGM的な聴き方をしていたのだろう。調べてみたら季語は「春」だそうだが、曲感からして個人的には、木枯らし吹き荒ぶ寒空を想起させる「冬」だと思う。行進曲調の急き立てるような伴奏が気に入っている。
☆ 若い東京の屋根の下(昭和38年) - 橋幸夫・吉永小百合
うんざりするほどの橋幸夫でごめんなさい。先日、BS放送でこの映画をやっていたので観た。歌は最後に歌われる。ロケ地として目蒲線大岡山駅や多摩川土手などが出てくるが、この頃は未だ畑もあって、とても長閑な様子が窺える。定番の東京タワーも、周辺にビルはほとんど見当たらない。
☆ 星空に両手を(昭和38年) - 守屋浩・島倉千代子
時流に乗って“お千代さん”も青春してます。気づかなかったけど、この年はやたらとデュエット曲が多い。ほかに『二人で駈けよう』『夕陽の丘』など。前年度レコード大賞曲『いつでも夢を』の影響か。
☆ いつもの小道で(昭和38年) - 田辺靖雄・梓みちよ
ポップス系では、この二人。お互いのイニシャルを採って、“MYカップル”と呼ばれていた。関係ないけど、ウチの会社も合併時、双方の頭文字から“MY”がキャッチフレーズだった。シングル盤は、レコード大賞を獲った『こんにちは赤ちゃん』との腹合わせ。しかし自分としては、NHK『夢で逢いましょう』の映像から入った曲である。
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