☆ こりゃシャクだった(昭和36年) - ハナ肇とクレイジーキャッツ
クラシックばかりだった所蔵盤に、初めて加わった歌謡曲がこのドーナツ盤。件の友人宅にはいろいろな歌謡曲があって、羨ましかったのだろう。親から大顰蹙を買ったのは、言うまでもない。もちろん、『スーダラ節』(A面)が目当てだったが、手にしてみたら存外にB面のほうが愉快じゃありませんか。爾後の再生回数は、A面を遙かに凌駕した。
中学二年生には無理でも、還暦を過ぎた今ならわかる。「社用族」を皮肉った内容が、聴く者を愉快にさせるのだ。戦後の混乱期に没落した上流階級を「斜陽族」と謂う。当時の人はこれを捩り、“社用”と称して会社経費を飲食・遊興に費消する社員を「社用族」と呼んだ。
☆ 背広姿の渡り鳥(昭和36年) - 佐川ミツオ
歌とは無関係な映像がアレだが、友人宅にこのシングル盤が在って、よく聴かせてもらった。変種(?)なれど、嫌いな“股旅物”には違いない。けれども、任侠道にそぐわぬナヨナヨした歌唱が、却って解毒剤の役割を果たしてか、決して嫌いではない。いやむしろ当時を懐古する意味で、どうしても欲しい曲の一つ。が、今となっては、もはや入手困難。いよいよ“高嶺の花”となりぬべし。
☆ 恋しているんだもん(昭和36年) - 島倉千代子
“お千代さん”とは縁もゆかりもないが、ラヂオの時代から妙な親近感がある。自分は長子なので兄・姉が居ない。“お山の大将”で居たい性格でもない。勢い、幼児期から無意識のうちに、年長者に付いて回っていた。“お千代さん”の恥じらいを秘めた純情可憐な歌声から連想するのが、自分の願いに叶う“お姉さん像”だったのですよ。美空ひばり風の“姐御”であっては、断じてならぬ。
この歌でも、恋することが恥でも何でもないのに、恥ずかしがってる様子が窺える。昨今は、若い未婚女性を指して「乙女」という言い方をあまりしなくなった。無理もない、この“恥じらい”が「乙女」の必須要件なのだから。アメリカニズムに汚染され、恥じらいを無くした現代日本娘どもに、「乙女」とか「大和撫子」といった美称で呼びたくない。
☆ 別れの磯千鳥(昭和36年) - 井上ひろし
この年のハワイアンブームに肖ってリバイバル録音されたのだろう。オリジナル歌手は近江俊郎(昭和27年)。しかし、初の海外旅行で現地を訪れて(昭和52年)以来、その想い出と共に、この盤のほうが耳に馴染んでいて懐かしい。
☆ 南海の美少年(昭和36年) - 橋幸夫
この曲も友人宅でよく聴かせてもらった。嫌いだった前年の『潮来笠』と同じ橋幸夫が歌っているのに、どういうわけだかこちらのほうは好きな部類に属する。テーマが“股旅物”でなく、“殉教物”だからかもしれない。歌の主人公「天草四郎」には莫大な関心があって、既に関東在住だったにも拘わらず、大学生時分も社会人になってからも、幾度となく島原半島を訪れている。
☆ じんじろげ(昭和36年) - 森山加代子
脈絡を欠いた意味不明の歌詞が、却って記憶に深く強く焼き付くことになった摩訶不思議な歌。カンツォーネ『月影のナポリ』のカバーでレコードデビューしたジャズ畑の人だが、この歌は渡舟人作詞中村八大作曲の和製ポップス。
異なる曲の比較自体に無理があることを承知で書くなら、当時23歳の“お千代さん”にある恥じらいが、19歳“カヨちゃん”の歌声からは伝わって来ないでしょ。もっと極端な例は、次の曲。
☆ 子供ぢゃないの(昭和36年) - 弘田三枝子
中学三年生(14歳)だった“ミコちゃん”の場合、曲名とは裏腹に、未だ色恋を知らぬ子供、といった感じでしょう。“ダイナマイト娘”と呼ばれたブレンダ・リー張りの、パンチの効いた歌声からは、「性別不詳」としか言いようがない。
まあ、個人的な好みを書いたまで。「良し悪し」や「巧拙」が言いたいわけではないので、くれぐれも誤解なさらぬよう。
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