この年になると、外国(特に米国)発祥のカバー曲が目立つようになる。戦前に外国起源の流行歌がなかったわけではないが、ジャズバンドを別にすれば、古くは浅草オペラ(例;ベアトリ姐ちゃん)や宝塚歌劇(例;すみれの花咲く頃)から広まった欧州発のクラシック・シャンソン等が主であった。
ちょうどいま、NHK-BSで『洋楽グラフィティ'60』を放映中。殆どが聞き覚えのある曲ばかり。しかし、オリジナル歌手のものはラヂオで聴き、邦人歌手がカバーしたテレビ映像を知っているだけで、映像的には懐かしいどころか初見同然の有様。西部劇等の輸入ドラマを除けば、歌物の外国テレビ映像が未だ殆ど入って来なかった頃である。
☆ 潮来花嫁さん(昭和35年) - 花村菊江
中国発信サイト虾米プレーヤーでの曲名“潮来【笠】嫁さん”が笑わせてくれる。当時、日本調が嫌いだったクセして、こればかりは素直に聴き容れていた数少ない例外曲。理由はよくわからないが、歴としたプロ歌手なのに、素人然として一所懸命歌ってるようで、嫌味を感じないからだろうか。
☆ 潮来笠(昭和35年) - 橋幸夫
この年の大ヒット曲。ドラマ・映画もそうだが、基本的に“股旅物”は好きじゃない。しかも前述の花村菊江とは逆で、デビュー曲にも拘わらず、プロ然とした独特のポルタメント唱法が鼻に付き、堪らなく嫌だった。ところが困ったことに、件の友人が橋幸夫の大ファンときたもんだ。自慢げに、このレコードをさんざん聴かされましたですよ。
☆ 月の法善寺横町(昭和35年) - 藤島桓夫
この曲も嫌いだった。なぜって、あのナヨナヨした浪花弁の台詞が気に食わない。けれども、懐メロに興味を抱いて復刻アルバムを買い漁っていた昭和50年前後、オリジナル音源が容易に見つからなかったんですよね。蒐集家にとって、無い物ほど欲しくなるのが人情。世がCD時代になって、ようやく手に入れたときは、“お宝”として遇した次第。
☆ あいつ(昭和35年) - 旗照夫
中学校に上がっていたとは言え、“色恋沙汰”に縁などあろうはずもなく、歌詞の意味を理解するには莫大な年月を要した。旗照夫は、本来がジャズ畑の人。が、これは平岡精二作に成る「邦楽」で、カバー曲ではない。聞き囓ったところに依ると、ペギー葉山の『爪』とは相関関係にあるらしい。
大したヒット曲もないのに、クラシック畑の立川澄人と並んで『紅白歌合戦』の常連だった。公明正大なはずのNHKにも、依怙贔屓があったのだろうか。旗照夫なら、『砂に書いたラヴレター』『マックザナイフ』といったカバー曲のほうに食指を動かされる。
☆ ベビー・フェイス(昭和35年) - 田代みどり
本当はA面のほうを採りたかったけど、残念ながら原唱盤が見つからなかった。一般にカバー曲はレコード各社の競作になることが多い。負け惜しみで言うなら、競合がなさそうなB面のほうが、カバー歌手のオリジナル性(妙な言い回しか)が高いと言えなくもない。
自分より一学年下だから、録音時は未だ小学六年生ですよ。童謡歌手ならわかるけど・・・。この頃からカバー曲を中心に、自分とほぼ同世代の歌手が続々とデビューするようになり、洋楽系ポップス(歌謡曲でなく)がぐっと身近なものとなってゆく。
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