この年、我が家にテレビがやってきた。親の説明によると、《皇太子殿下(今上陛下)のご成婚を視るため》ということだったが、兄妹弟三人がせがんで勝ち取った成果、と今も自負している。『親は子に勝てない』、と世間ではよく謂うでしょ。
ご近所の中でも早かったほうである。しかし、子供の視聴は午後6時~8時と親から厳命されていた。もともと一日中放映されていたわけじゃないし、放送局だって教育チャンネルを含むNHK2局と民放OBSを合わせて、たったの3局だけ。OBSのTV開局はこの年10月だそうだから、試験放送の段階から視ていたことになる。
おテレビ様がお越しになったからといって、ラヂオを全く聴かなくなったわけではない。おテレビ様はたいそうお偉い御方で、上述の如く一日2時間程度しかご尊顔を拝すことが出来なかったのですよ。家族団欒で聴く据置型ラヂオ以外に、親から自分専用の鉱石ラヂオを買ってもらっていた。今流行りのデジタル・オーディオ・プレーヤー(DAP)みたいに、イヤホン(もちろん片耳)で聴く携帯型ラヂオ。ただ、子供だったから知恵が回らず、家外へ持ち出すことはなかったけど・・・。
いつ頃買ってもらったか、はっきり憶えていない。福岡時代に同居していた叔母さんはもう居ないのに、大分へ来てからの歌謡曲も意外と憶えているところをみると、引っ越し(転校)承諾を餌に親と取引して得た戦利品の可能性が高い。自分専用だから、ロカビリーを聴こうがアプレにかぶれようが、親にはバレないもんね。
☆ 人生劇場(昭和34年) - 村田英雄
ヒット曲だけに、とにかくラヂオでよくかかっていた。ただし、小学生が村田英雄ファンになるはずもなく、“聴かされた”と表現したほうが正鵠を射ていよう。また、個人的な“想い出”という意味では、大学生時分(昭和41~45年)の歌である。なお、この曲のオリジナル歌手は、戦前の楠木繁夫(昭和13年)。楠木繁夫の同じ古賀政男作品なら、『ハイキングの唄』(昭和10年)とか『緑の地平線』(昭和10年)といった、ノリのいい歌のほうが好いなぁ。
☆ 夜霧に消えたチャコ(昭和34年) - フランク永井
小学生がこんな大人びた失恋歌を愛聴していたとは、我ながら信じられないが、マセた子供だったのでしょう。もちろん、歌詞の意味がわかっていたわけでもない。しかし、ただならぬ雰囲気が子供心にも伝わってきた。実際、感窮まって歌声が度々途切れるので、何度も録り直したと聞く。私的には、フランク永井のベスト曲と思っている。
☆ 浅草姉妹(昭和34年) - こまどり姉妹
はっきり言って子供時分、三味線片手に歌うこの姉妹が嫌いだった。なぜなら、日本調の歌そのものが自分の性に合わなかったのですよ。ところが、年齢と共に【滋味】がわかってくるというか、人生半ばを過ぎた今聴くと、そこはかとはない安らぎを覚える。クラシック(古典音楽)も同様で、ブラームスの室内楽など端から敬遠してたけど、今では【男の哀愁】を感じ取ることができるようになって、LP初期の復刻CDを愛聴している。
☆ 可愛い花(昭和34年) - ザ・ピーナッツ
同じ姉妹でも、こちらのほうが遙かに親しみ深い。余り時を移さずして、ポップス系の『ザ・ヒットパレード』というTV番組が始まるが、メイン出演者がこのお二方だった。おそらく中学生になってからと思うが、この番組は毎週欠かさず夢中になって視ていた。今となっては、もはや半世紀(50年)以上も昔の遠い「過去」である。
☆ 大川ながし(昭和34年) - 美空ひばり
押しも押されぬ【演歌の女王】だが、それを鼻に掛けたような姐御風の歌い方(後年は特に酷い)が気に入らず、好きな歌手とは言い難い。尤も、生(なま)で歌う姿を観ることができた唯一の演歌歌手でもある。
ヒットしたと言えるほどではなかったにせよ、この曲も当時よく“聴かされた”。が、前記『浅草姉妹』と同じ理由で、敬遠してた部類に入る。しかし、こうした俗謡調の日本風味を歌わせたら天下一品で、聴き終わった後は、《畏れ入りました》と認めざるを得ない。
さて、せっかくテレビが入ったのだから、次稿では主に子供向けTV劇の主題歌・挿入曲を特集してみたいと思います。
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