これは驚いた。虾米音乐网は発信元が中国だから、日本楽曲の場合、彼らと近しい曲だけで高が知れてると思いきや、あるわあるわ。今流行りのAKB48、演歌の女王美空ひばりはおろか、戦前の二村定一、徳山璉、松原操らの歌まである。流行歌ばかりではない。ラヂオ・テレビ・映画のサントラ盤から、果てはクラシック畑の山田耕筰、芥川也寸志、黛敏郎、團伊玖磨、伊福部昭、朝比奈隆なども紹介されている。さすがに橋本國彦の名はないが・・・。おかげさまで、昭和初期から代表的歌謡曲のほとんどを、丸ごと聴くことが出来る。懐メロファンとしては、感情を抑えようにも自然と笑みが溢れてきて隠せない。
そう言えば、昨年5月17日付で、戦前の好きな曲として『南の花嫁さん』を採り上げた。ただし、原曲が支那の曲だし、オリジナル盤初出(昭和17年)の頃は未だ生まれてなかった。ゆゑに、当時の世相を知るべくもなく、厳密な意味での“懐メロ”とは呼べない。
昭和23年生まれだから、戦後の昭和歌謡史がそのまま自分の半生に繋がる。もともと、懐メロに興味を持ったきっかけは、昭和50年前後の未だ新米社員だった頃、NHK-FMで菅原ツヅ子の『月がとっても青いから』(昭和30年)がかかったからだ。この歌が流行った頃は小学二年生だったが、下校時意味もわからず歌いながら帰宅したことを憶えている。20年ほどの歳月を経て、思いがけぬ人に巡り会えたようで涙が出るほど懐かしかったですね。
☆ 月がとっても青いから(昭和30年) - 菅原ツヅ子
幼少の砌はラヂオの時代で、流れてくる音楽から否応なく聴き憶えたものばかり。とは言え、総てが記憶にあってどれもこれも懐かしいわけではない。受け(ヒット)を狙った曲よりむしろ、時流に逆らう灰汁の強い歌のほうが懐かしさは弥増す。ヒット曲だから時流に逆らったとは言い難いにしろ、菅原都々子の歌唱法は灰汁の強さでは相当なもの。子供時分、あのビブラート唱法が嫌で嫌で堪らなかったにも拘わらず、今になって妙に懐かしいから不思議である。
さて、自分にとって最古(?)の懐メロは、この(↓)曲です。
☆ 流れの旅路(昭和23年) - 津村謙
生まれ年の曲を記憶しているなどウソっぽく思われるかも知れないが、本当のお話です。昭和20年代で最も好きな歌手の一人でもあります。小学生時分、同姓の級友が居て、名が違うのに《謙ちゃん》との異名で呼ばれてましたよ。『白夜行路』『上海帰りのリル』『東京の椿姫』『待ちましょう』『あなたと共に』etc、どれをとっても素晴らしい。
もう一人、伊藤久男を逸するわけにはいかない。当時小学生の自分にとって、津村謙が兄なら伊藤久男は父親の存在だったろう。現に我が父と同い年である。あの朗々とした歌声が好いですね。戦前・戦後を通じて数多くの名盤を遺しているが、個人的な好みで映画『君の名は』三部作の挿入歌を代表曲に採りたい。
☆ 君いとしき人よ(昭和28年) - 伊藤久男
☆ 数寄屋橋エレジー(昭和29年) - 伊藤久男
☆ 忘れ得ぬ人(昭和29年) - 伊藤久男
映画のDVDはもちろん、挿入歌のCDも全て所有している。映画公開当時は未だ幼児で朧気な記憶に過ぎないが、否応なくラヂオで聴いていたし、映画第二部は親戚の叔母さんに連れられて観たと思う。従って、今にして偲べばと言った類の話で、当時から気に入っていたわけではない。むしろ、織井茂子のほうが記憶に残っている。
☆ 黒百合の歌(昭和29年) - 織井茂子
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