今月3日(金)に入院させた子(iiyamaモニターPLXB2374HDS-B1)が、ちょうど1週間ぶりに元気な姿で戻ってきた。いやあ、こうして比べてみると、ワイド型、スクエア型の形状の違い以上に、デジタルとアナログの画質差をまざまざと見せつけられますね。この間、代わってくれた旧モデル(PLE430)に罪はないけれど・・・。
さて、先に昭和20年代の流行り歌を幾つか採り上げたが、この頃は未だ就学前の幼児に過ぎなかった。小学校へ上がったのが昭和29年。菅原都々子にしろ津村謙にしろ伊藤久男にしろ、単に聞き覚えて知ってるだけで、当時から特別な思い入れがあった曲というわけではない。言わずもがな、歌詞などチンプンカンプンだったのだから。
ゆゑに、この年代の懐メロ音楽評(?)で胸を張れるのは、流行歌ではなく童謡・唱歌の分野のみ、という情けないありさま。何となれば、ちゃっかりこれを記事にしてみましょう。ただ、なにぶんにも古(いにしへ)のことゆゑ、果たしてネット上に在るや否や・・・。同曲異演の新録音なら幾らでも在りそうだが、当時を懐古するのが目的なので、何が何でもオリジナル(原典盤)に拘りたい。
どうやらYouTubeに幾つか上がってますね。動画に寄せられたコメントを読んでもらうため、いつもと違って一部は埋め込まず、リンクを貼るだけにします。
☆ みかんの花咲く丘(昭和22年) - 川田正子
自分にとって、“懐メロ”の原点ともいうべき盤。もちろんSP盤でなく、復刻盤CDのほうをしっかり所有している。また、井口小夜子盤もあるが、録音時既に33歳の小母様とあっては馴染みが薄い。
☆ お山の杉の子(昭和19年)-安西愛子・加賀美一郎・壽永恵美子
う~ん、ちょっと違いますね。それもそのはず、戦中曲で戦時色が強く、戦後NGとなった3番以下の歌詞をサトウハチローが改作(補作)したとか。自分が持ってるのは戦後盤(安西愛子・川田孝子・伴久美子)でした。小高い丘で遊びながら、よく歌ったものです。むろん戦後の改作された歌詞で・・・。いや、3番以降の歌詞まで知らなかった。
この分野では、戦前から本居みどり、平井英子、河村順子らが居たが、母親の世代である。戦後の安西愛子、松田トシといった面々も“歌の小母さん”でしかない。幼児の心理で言えば、自分とほぼ同世代の女児(なぜか男児は絶滅危惧種)が歌うところに親近感を覚えるものだ。その意味で、数多い童謡歌手のうち、個人的に好きだった童謡歌手を挙げてみよう。お断りしておきますが、飽くまで幼児期が基準であり、現在の嗜好とは必ずしも一致しません。
まずは、自分より六つも年上のお姉さんだけど、伴久美子さん。
☆ ナコちゃん(昭和28年) - 伴久美子・安西愛子
純真な明朗さが売りの童謡なのに、何だか物悲しくなる曲調ですね。夭折された身の上が脳裏にあるからではない。当時も今も変わらぬ率直な感想である。むしろ逆境にめげず、あたかも明るく振る舞うかのような歌声だから、却って涙を誘うのかも知れない。せっかくですからこの際、歌うお姿も拝見してみましょう。
☆ 三共製薬『ルルの歌』(昭和32年) - 伴久美子
画質が劣悪でアレですが、何となく面影が感じ取れて実に懐かしい。続いては、近藤圭子さん。
☆ 海ほおずきの歌(昭和28年) - 近藤圭子
どういうわけか東映映画『紅孔雀』(昭和29年)と結びついて憶えている。好きな部類の歌です。しかし、童謡歌手というより、子供向けTV映画女優の印象が強い。『豹の眼』錦華役、『怪傑ハリマオ』令子役。
☆ 南十字星の歌(昭和35年) - 近藤圭子
『怪傑ハリマオ』は、九州・大分在住だったので放送が無く、後に関東へ引っ越してから再放送をチラッと視ただけ。したがって、この歌の聴き憶えはないけれど、三橋美智也が歌う主題歌は好きでしたね。お終いは、超マイナーな小川貴代乃さん。
☆ 千羽鶴・きゅっきゅっきゅっ(昭和30年) - 小川貴代乃
二曲目の『きゅっきゅっきゅっ』は、同居していた母方末妹の叔母さん(と言っても、高校生)が、靴磨きしながらよく歌ってくれましたね。ご尊顔を拝そうにも画像が見当たらず、ごめんなさい。和服が似合い、八重歯がこぼれる笑顔で、当時の子供向け雑誌を賑わしてましたけどね。妹の少女本を盗み見して、ちゃんと知ってます。
気づいてみると、お三方とも自分より年上のお姉様ばかりでした。
【訂正】・・・5月11日
×・・・「海ほうずき」
○・・・「海ほおずき」
お恥ずかしい。「ほおずき」を「ほうずき」と誤って書いてしまうのは、子供の頃からの悪い癖なんです。歴史的仮名遣いでは「ほほづき」だから、ほっぺたの【頬(ほほ)】と同じ。現代仮名遣いでも「頬」の振仮名は「ほお」だし、「ほう」なんてルビ振る人は居ませんよね。
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