“懐メロ”とは“懐かしのメロディ”の略語と思うが、何時頃からこういう呼び方をされるようになったのか。自分の子供時分は、世の中のあらゆる物事が新鮮で、戦前の曲だろうと何だろうと、“懐かしい”という感情など湧きようがなかった。戦前曲と雖も、初めて聴くのだから当たり前である。しかし、“懐メロ”の語はなかった(と思う)ものの、当時の年配者のなかに懐メロ感情があったとしても不思議ではない。
単なる憶測に過ぎないが、“懐メロ”と呼ばれるようになったのは、おそらく昭和50年代に入ってからではなかろうか。昭和40年代にカレッジポップスが台頭し、やがてニューミュージックと呼ばれる分野が定着するにいたって、旧来の日本調歌謡曲が次第に影を薄めていった。もちろん、昭和30年代には、ロカビリー・ブームがあったし、アメリカンポップスのカヴァー曲もそれなりにヒットしていたが、まだ住み分けがあったように記憶する。ところが、カレッジポップスが席捲するや、歌謡界の枠組みさえ変えてしまった。つまり、音楽学校を出てない一見素人然とした歌手が大量に出現したのである。
歌謡曲は流行歌とも呼ばれる。所詮が流行り物(ファッション)に過ぎない。当然ながら、流行に付いて行けない中高年層は、昔が恋しくなる。その需要に応えてかどうか知らないが、“懐メロ”を唱う番組が登場したのは、この頃(昭和40年代末以降)だったように思う。このことは、自分が“懐メロ”に興味を抱くようになった時期と一致する。
昭和40年代中頃から家庭用録音テープが普及し始めていた。自分は主に来日演奏家(クラシック)公演の放送をTEACのオープンリールデッキでエアチェックするのを専らとしていた。それをカセットテープにダビングして整理するのだが、生来のずぼらな性格ゆゑ、大抵は途中で頓挫してしまう。まあ、性格など本題に関係ないので飛ばすとして、エアチェックするということは、留守録にしろ放送を聴く目的に変わりはない。
NHK-FMに「昼の歌謡曲」という番組があった。たまたま菅原ツヅ子特集だか何かをやっていて、『月がとっても青いから』(昭和30年)がかかったのだ。流行った頃から未だ20年も経っていない頃だが、以後一度も耳にしてなかったので、意味も分からず歌いながら下校した「あの頃」を想い出して非常に懐かしかった。
しかし、テレビの懐メロ番組で菅原ツヅ子が同曲を歌うのを観たとしても、懐かしさの程度は著しく低下する。なぜか? 映像自体が「あの頃」のものではないからである。音楽は再現芸術だから、同一演奏家による同一曲の演奏でも、その時々で出来栄えが異って当然。歌ともなれば生身である歌い手の体調も影響してこよう。何が言いたいかというと、レコード(record;音盤)の原義が「記録」である以上、レコードとは謂わば賞味期限のない“音の缶詰”である。従って、当時の雰囲気を忠実に再現してくれるオリジナル盤でなくてはならない。ただ、録音技術の発達に合わせて再録音されたものも、それなりに意義があることまで否定はしない。
チェンマイまでやってきて、変な話になってしまいました。
ごめんなさい。
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