韓流ドラマへの度し難い違和感については、これまで散々書いてきた。じゃあ何ゆゑ観るのかと問われれば返す言葉もない。言い訳がましいが、シリアスな物語であればあるほど화병(火病;ファビョン)が満載で、妙に愉快だからとしておこう。もとを正せば「文化」が違うのだろうけれども、では韓国民にとって「한(恨;ハン)」とはいったい何ぞや?
朝鮮民族にとっての「恨」は、単なる恨み辛みではなく、憧れや悲哀や妄念など様々な複雑な感情を顕わすものであり、その文化は「恨の文化」と呼ばれる。「恨」の形成の裏には、時の王権や両班による苛斂誅求を極めた支配や、過去より幾度となく異民族による侵略・屈服・服従を余儀なくされ続けた長い抑圧と屈辱の歴史があると言われる。
朝鮮の独立が民族運動の結果ではなく、日本の降伏によって達成されたことは、後の世代の恨となった。そして今日、得られなかった勝利の代替物として、スポーツの日韓戦などに熱狂するという。
上記は日本語版《ウィキペディア》より引用。要するに、彼らの深層心理に、ルサンチマンからくる屈折した《奴隷道徳》があるということか。
《奴隷道徳》とは、ニーチェの用語。強者・支配者に対する怨恨(ルサンチマン)から成り立つ弱者の道徳。キリスト教道徳がその典型であり、偉大な者への怖れと不信、弱者への同情、狡猾な卑下と反抗などを特徴とする。
なるほどねえ。韓流ドラマで頻出する「愛する」「信じる」「守る」「約束する」といった歯が浮くような台詞も、実は我々外国人が想像するほど実行性ある重い言葉ではなさそう。彼らにしてみれば、あたかも強者であるかのようにみせる虚勢の謂いに過ぎないから、いとも簡単にこうして口に出来るのだろう。そう考えると合点がいく。
『恨の文化』の何たるかを知るには恰好の番組がある。BS11で放映中のSBS-TVの“「妻」シリーズ三部作”がそれ。第一作目の『妻の誘惑』は、4月26日付記事「恥」と「恨(ハン)」 - 文化の副産物で触れたので、よろしかったらご笑覧ください。昔々日本でも「よろめきドラマ」とかいう昼メロ時間帯があったが、そんな生易しいモノではない。誘惑や浮気・不倫に端を発して“妻の座”を奪い合う血みどろの戦闘が繰り広げられる。なんといっても、女同士の壮絶な実戦が当番組の見所。おまけに韓国名物の火病も溢れていて、視る側を飽きさせない。
ドラマだけで判断するのは早計とは思うが、彼国は典型的な利益社会(ゲゼルシャフト)ではないのか。家族や親族といえども、互恵を旨とする共同体(ゲマインシャフト)的要素が著しく乏しい。とにかく子役を除く登場人物が、自分さえよければ他人はどうでもいいと言わんばかりのトンデモ人間ばかり。「譲る」ことを知らない禽獣同然の生き様を観てとることが出来る。利益社会の末路を暗示するかのよう。全篇はとてもムリなので、“さわり”だけでも視ていただきましょう
妻の誘惑(第一作)
二人の妻(第二作)
妻が帰ってきた(第三作)
第一作を除いて、タガログ語(フィリピン)とタイ語の吹き替え版なので、韓国語の凄まじさが消えてます。その代わり短いクリップだから、子供騙しの幼稚な作風にもボロが出ずに済んだ? しかし、主題歌だけはわりかし好きですけどね。
『妻が帰ってきた』『二人の妻』『妻の誘惑』(左より)
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