☆ 年 齢
四十歳より内は、知惠分別を除け、強み過ぐる程がよし。人により、身の程により、四十過ぎても強みなければ響きなきものなり。
【 訳 】
四十歳前は、知恵分別に流されず、気力充分で強み過ぎるくらいのほうがよい。人により、身分によっては、四十を過ぎても、内心の強みがなければ迫力がなく、何事も成就できないものである。
【 解説 】
強みということがいわれている。この一、二行を仔細に読むと、四十にならぬうちは強み過ぎるほどがよく、また四十を過ぎてもやはり強みがなければいけないということを言っているので、結局常朝が考えている人間像は「強み」という一点に帰着するように思われる。
「強み」とは何か。知恵に流されぬことである。分別に溺れないことである。彼は行動の原理がいつもこのように知恵や分別によって崩され、破壊されるのを、我慢して見てきた経験がたくさんあるに違いない。そして、四十過ぎての分別盛りが、忽ち、がたりと強みを失って、その時になって得た知恵や分別ですら、強みがないがため本当の効果を発揮しないという例をたくさん見たに違いない。
ここには微妙な逆説がある。もし知恵分別が四十歳にして得られるならば、その時、それを活用する力が残っていなければならない。しかし、世間の多くは、分別が得られたときには力を失っているのである。常朝はそれを戒めたものと思われる。
「葉隠」は、武士としての心得でしょうから、「強み」がなければ話にならないということでしょうね。「強み」とは、頼んで力とするに足る点だそうですから、ひと言でいえば、武士たるもの、頼り甲斐のある存在でなければならない、のでしょう。いざ鎌倉の時、刀を放り投げて真っ先に逃げ出してしまうような御武家様では、何の役にも立たないですからね。
この「強み」は、自分が子供時分、父親や世の小父さんたちから感じ取っていました。ちょっと気軽に話せはしないけど、いざという時には頼りになる人たちでした。その意味で、子供の人を見る目は案外確かですよ。いま、女権(?)に圧倒されて、男どもに「強み」が感じられませんねえ。お前はどうかと問われれば、「お恥ずかしい限りで・・・。」と答えるしかありませんが。
いやいや、女権に押されてというより、男どもが「強み」を自ら勝手に放棄した、といったほうが当たってるかもしれませんね。頼られる身は、名誉ではありますが、「弱み」を見せるわけにもいかず、結構つらいだろうと思います。まさに「男はつらいよ」ですね。そういえば、『月光仮面』では、五郎八迷探偵がこの台詞を発したのでした。そりゃあ、むしろ頼りにされないほうが、はるかに楽ちんですから。
卑近な例ですが、己の亡父にも心当たりがあります。没する二年ほど前、山好き同士二人でスイス旅行へ出かけました。最初は父親の威厳を見せようとしたのか、先回りして何かと仕切っていたのですが、得意の英語が通じず、断念。愚息の当方に任せた、と言った途端、急に子供のようにはしゃぎ出しました。妻子に「弱み」を見せられず、さぞかしつらかっただろうな、と思った次第です。
「強み」と「弱み」は、“両刃の剣”ですね。先の大戦の講和に臨んだ吉田茂元総理は、連合国軍(実質米軍)によって丸腰にされた軍事面を逆手にとって、「あなた守る人、わたし食べる人」とばかりに、経済優先政策を推進したのだろう、と自分は思っています。当時は、まず“食”こそ喫緊の課題であったでしょうから、やむを得なかった、と。しかし、衣食住が満ち足りた今、あいも変わらず同じ政策を繰り返してるようでは、やはり拙い。
余事ながら、論語には「四十にして惑わず。」とあって“不惑の歳”とよく言われますが、常朝師の教えと何か関係あるのでしょうか。
ありがとうございました。
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