☆ エネルギーの賛美
御家来としては、国学心懸くべきことなり。今時、国学目落しに相成り候。大意は、御家の根元を落ち着け、御先祖様方の御苦労、御慈悲を以て、御長久の事を本づけ申すために候。
「・・・泰平に候へば、次第に華麗の世間になり行き、弓箭の道は不覚悟にして、奢り出来、失墜多く、上下困窮し、内外に恥をかき、家をも掘り崩し申すべく候。家中の者共老人は、死に失せ、若き者共は時代の風ばかりを学び申すべく候。せめて、末が末まで残り候様に、書き物にて家の譲りに渡し置き候はば、それを見候てなりとも、覚え付き申すべく候。」と仰せられ、御一生、反故の内に御座なされ候て、御仕立てなされ候。
御秘事は相知らざる事に候へども、古老の衆語り伝へ候は、カチクチと申す御軍法、御代々御代替りに、面授口決にて御伝へ遊ばさるるの由に候。御譲り御懸硯には、視聴覚知抄、先考三以記と申す御書物、これも御家督の時、御直に御渡し遊ばさるる由に候。さて又、御家中御仕置、御国内端々迄の御仕組、公儀方雑務方一切万事の御仕置、鳥の子御帳に御書き記し、諸役々の御控帳、御手頭迄、明細に遊ばされ候。この御苦労限りもなき御事に候。その御勲功を以て御家御長久、めでたき御事に候。
されば、憚りながら御上にも、日峯様、泰盛院様の御苦労を思召し知られ、せめて御譲りの御書き物なりとも御熟覧候て、御落ち着き遊ばされたき事に候。御出生候へば、若殿若殿とひやうすかし立て候に付いて御苦労もなさる事これ無く、国学御存じなく、我儘のすきの事ばかりにて、御家職方大方に候故、近年新儀多く、手薄く相成り申す事に候。斯様の時節に、小利口なる者共が、何の味も知らず、知恵自慢をして新儀を工み出し、殿の御気に入り、出頭して悉く仕くさらかし申し候。
斯様の儀を存じ当り、御恩報じに何とまかり立つべくとの覚悟に胸を極め、御懇ろに召し使はるる時は、いよいよ私(わたくし)なく奉公仕り、浪人切腹仰せ付けられ候も一つの御奉公と存じ、山の奥よりも土の下よりも生々世々御家を嘆き奉る心入れ、これ鍋島侍の覚悟の初門、我等が骨髄にて候。今の拙者に似合はざる事に候へども、成仏などは嘗て願ひ申さず候。七生迄も鍋島侍に生れ出で、国を治め申すべき覚悟、胆に染み罷り在るまでに候。気力も器量も入らず候。一口に申さば、御家を一人して荷ひ申す志出来申す迄に候。同じ人間が誰に劣り申すべきや。
惣じて修行は、大高慢にてなければ役に立たず候。我一人して御家を動かさぬとかからねば、修行は物にならざるなり。又、薬罐道心にて、さめ易き事あり。それは、さめぬ仕様あり。我等が一流の誓願、
一、武士道に於ておくれ取り申すまじき事
一、主君の御用に立つべき事
一、親に孝行仕るべき事
一、大慈悲を起し人の為になるべき事
この四誓願を、毎朝仏神に念じ候へば、二人力になりて、後へはしざらぬものなり。尺取虫の様に、少しづつ先へにじり申すものに候。仏神も、先づ誓願を起し給ふなり。
【 訳 】
ご家来として仕える以上は、国学、すなわちお家伝来の基本的な考え方を心得ておくべきである。最近、そうした考えが疎かにされている。国学の本質は、お家成立の根源をよく知り、ご先祖のご苦労、そのご慈悲を支えとしてお家が栄えてきたことを、銘記しておくことにある。
(初代勝茂公は、)「・・・今は太平な時勢なればこそ、世相が派手になっていくが、やがて武芸の道も疎かになり、奢りの気持ばかり多くなって失敗が重なり、上下共に窮迫して内外に恥を晒す結果ともなり、遂にはお家を衰亡させてしまうに違いない。家中を見ると、老人は死んでしまい、若い連中は時代の流ればかりに敏感な状態である。せめて末代まで、教訓として書面でお家に伝え残しておけば、それを見るなりして、少しはお家の伝統がわかるようになるのではないか。」と仰せられ、その一生を紙屑の中に埋もれるようにして、書き物を作り上げられた。
秘密のことまで知るはずもないが、老人たちの語り伝えによれば、カチクチという軍法は、代々ご相続の度に、面談口移しでお伝えになる。また、書物箱には、「視聴覚知抄」「先考三以記」という本を入れ、ご相続の時に手ずからお渡しなさるとのことだ。さらに、ご家中のしきたり、国内の種々の組織、幕府関係の事務一切のやり方などを、鳥の子紙の帳面に書き認めて、諸役の仕事内容まで細かく作られてあると言う。このご苦労はたいへんなもので、そのお働きでお家は長く栄えているのであって、めでたい限りである。
されば、勿体なくも今の(四代吉茂)殿も、藩祖日峯(直茂)様、初代泰盛院(勝茂)様のご苦労をご配慮になり、せめて譲られた書物だけでも丁寧に目を通されて心を決めていただきたいものである。ご誕生この方、周りの者たちから若殿、若殿と言われてご機嫌をとられるので、ご苦労もなく、藩の伝統もご存知なく、わがまま勝手でお家の仕事に身が入らず、このところ目新しいことがしきりに行われ、藩内の諸事万端が弱体化してしまった。こん時期に、小利口な連中が、何一つ知りもしないくせに、知恵を自慢し合って、珍しい物などを考え出し、殿のお気に入りになって出しゃばり、勝手なことのしたい放題だ。
こうしたことを知ったからには、ご恩報じに何事かお役に立ちたいと心に決め、殿様より手厚くもてなしを受けていれば、いよいよ私心を捨て、浪人や切腹を言い渡されることも御奉公の一つと考え、山の奥からも、土の下からさえ、生まれ変わり死に変わり、お家に奉ずるという決心、これが鍋島侍の第一の覚悟で、我等の真骨頂である。今の私には似合わぬことだが、成仏などかつて願ったこともなかった。七度生まれ変わっても鍋島侍となって、藩に尽くす覚悟が心に染み渡っているだけである。鍋島侍には、気力も才知も不要、一口に言えば、お家を一人で背負うくらいの意志を持てばよいのである。同じ人間として、誰が劣るというのでもない。
いったい修行というものは、大高慢の心がなければ役に立つものではない。自分一人でもお家を安泰にしようと心がけていなかったら、修行はものになるものではない。尤も、こうした決心は、薬罐に入ったお湯のように、熱しやすく冷めやすい。勿論、冷めないようにする手立てもある。かかる手立てとしての、我等が一流の誓願は、次のようなものである。
一、武士道において後れをとらぬこと。
一、主君のお役に立つべきこと。
一、親に孝行致すこと。
一、深い慈悲心を以て、人の為になるべきこと。
以上の四つの誓いを毎朝神仏に祈るようにするなら、力は倍加して後ろへは戻らぬものとなるだろう。やがて、尺取虫のように、少しずつ前へ進むものである。神仏といえども、まず志を立てるに当たって、誓いを立てられたものであった。
【 解 説 】
「葉隠」は、一面謙譲の美徳を褒めそやしながら、一面人間のエネルギーが、エネルギー自体の原理に従って、大きな行動を成就するところに着目した。エネルギーには行き過ぎということはあり得ない。獅子が疾走していく時に、獅子の足下に荒野は忽ち過ぎ去って、獅子は或いは追っていた獲物をも通り過ぎて、荒野の彼方へ走り出してしまうかもしれない。なぜならば彼が獅子だからだ。
これが、人間の行動の大きな源泉的な力になっているというところに、常朝は目をつけた。もし、謙譲の美徳のみを以て日常を縛れば、その日々の修行のうちから、その修行を乗り越えるような激しい行動の理念は出て来ない。それが大高慢にてなければならぬと言い、我が身一身で家を背負わなければならぬということの裏付けである。彼はギリシャ人のようにヒュブリス(傲慢)というものの、魅惑と光輝とその恐ろしさをよく知っていた。
「葉隠聞書」の序章部分です。現代人が忘れてしまった“伝統”という尊い英知の意味するものが、ここに凝縮されているような気がします。
意外に感じたのは、国学というと一般に、日本固有の文化を究明する学問と解され、自分もそう思っていましたが、ここでは鍋島藩に伝わる御家学(?)みたいな意味で使われているようですね。当時の「国」とは、今の日本全体ではなく、諸藩の所領を指したとするなら、当然でしょう。現代感覚のままで古文を読むと、このような“落とし穴”につい嵌ってしまいがちです。
でも、これは案外重要なポイントかもしれませんね。国学者といえば、契沖、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤らの名前が挙げられ、この場合は古学・皇学者という捉え方でありましょう。そこへいくと、「葉隠」でいう国学は、もっと地方色豊かな印象を持ちます。当時の人々の精神基盤は何に依拠していたかを想像するに、今の世で国学者と称される人が書いたものより、むしろ「葉隠」にあるような、家伝といったものが主流であったろう、と思うのであります。
武士にはこうした藩の家伝があったとするなら、商家には商家の、百姓には百姓の家伝らしきものがあったに違いないと推測するのであります。自分の場合は、父がカナダ生まれという事情もあり、家伝に相当するものは無きに等しかったですが、それでも親戚の家へ行けば、甲冑や日本刀とともに先祖の写真が床の間に飾ってあり、家柄を誇示しているかのように感じたものです。
それが女であれば、祖母から母へそして娘へと料理の味にしろ、家庭内の炊事洗濯裁縫といった家事万端が継承されていき、男の場合は、祖父から父へそして息子へと、家庭内の男仕事をとおして、しきたり万端の分担がなされ、言葉ではなく身体で覚えさせられていったのでしょう。
自分自身は、皇室がどうした、憲法がどうのといったことより以前に、こうした日常生活の中から感じ取れる様々な伝統にこそ、日本の国柄としての「國體(くにかた)」があるのではないか、と思うのです。
ありがとうございました。
コメント