☆ 寛 容
何某當時儉約を細かに仕る由申し候へば、よろしからざる事なり。水至つて清ければ魚棲まずと云ふかとあり。およそ藻がらなどのあるにより、その蔭に魚はかくれて、成長するものなり。少々は、見のがし聞きのがしのある故に、下々は安穩なるなり。人の身持なども、この心得あるべき事なり。
【 訳 】
或人、常々何か細かな倹約を説いているが、よいことではない。「水清ければ魚棲まず」という諺がある。藻などがあるからこそ、その蔭に魚は隠れて成長するのである。少しは見逃したり、聞き逃したりすることがあるから、下々の者は安穏に過ごすことが出来るのだ。人の品行などについても、この心得が必要である。
【 解 説 】
常朝は、決して人を責めるに厳ではなかった。そして手ごころということを知っていた。
徳川時代には、度々の倹約令が出て武士は節倹を本位とし、今の大衆消費時代とはまったく反対の、窮屈極まる生活を生きていたように思われている。この考えは近時の戦争中にもなお続いていた。ただひたすらに贅沢を押さえ、節約に努めれば、それがモラルであると考えられていた。戦後の工業化の進展によって、大衆消費の時代が来て、このような日本人独特の倹約のモラルは一掃されたように見えた。
『葉隠』は、一方的な、儒教的な堅苦しい倹約道徳に対して、初めから自由な寛容な立場を保っていた。あくまでも明快な行動、豪胆な決断を目標とした葉隠哲学は、重箱の隅をほじくるような、官僚的な御殿女中的な倹約道徳とは無縁であった。
そして、その思いやりの延長線上に自ずから、見逃し、聞き逃しという、生活哲学を持ち出している。そして見逃し、聞き逃しという生活哲学は、堅苦しい倹約哲学の裏側にあって、いつも日本人の心に生きていたものであった。
現代では、見逃し、聞き逃しの度が過ぎて、すべて見逃し、聞き逃しのほうがもとになってしまったことから、「黒い霧」といわれるまでの道徳的腐敗が惹起されることになった。それは寛容ではなくて、ただルーズだというだけだ。厳しいモラルの崩壊したところでは、見逃し、聞き逃しは、非人間的にさえなるのである。
これは、「旧き佳き時代」なればこそ成り立っていた教訓かもしれません。今やこうした以心伝心を試みてもわかってもらえず、却って逆恨みされる結果になるのがオチですね。
世知辛い世の中になったものです。
ありがとうございました。
コメント