《我は喜びて十字架を負わん》BWV56 三位一体節後第十九日曜日用カンタータ。書簡章句は「エペソ人への手紙」、福音章句は「マタイ伝」が出典。 【 解 説 】 1726年10月27日に初演された。バス独唱用の名曲として、広く知られている。福音章句を踏まえたテキストは、キリストの舟路を人生になぞらえる。即ち、苦難に満ちた人生の道行きは、死という安らかな港に辿り着くことによって初めて救済に導かれる、というのがその思想である。 テキストが現世の否定を語る時、バッハの音楽は虚無的とさえ言いたいほどの厳しさを見せて、我々に迫ってくる。だが、ひとたびその先にある揺るがぬものに視線が向けられると、バッハの音楽は深い信頼と限りない安らぎの世界を提示して、我々を驚かせるのである。 第一曲は、現世の苦悩を痛切に歌うト短調のアリア。続く叙唱では、チェロの奏する波の音型が、「人生という舟路」の想念をリアルに伝える。しかし、音楽は、何という晴れやかな飛翔を獲得することであろう。「おお、今日にもその時が」のパッセージの力強さ、以下音楽は安らぎの支配する領域に入り、最後には合唱が小コラールに和して、イエスの御前に歩み出ることを願う。 第一曲はト短調の荘重な序奏に始まり、十字架を背負うキリストの姿が連想されます。第三曲に入ると、変ロ長調のオーボエソロに乗って弾むような足どり(?)に変わります。そして、ハ短調の終結コラールで、憧れの死を得て心が昇華されていきます。 ☆ 第一曲 アリア(バス;オーボエ、ヴァイオリン、ヴィオラ、通奏低音) 我は喜びて十字架を負わん、 そは神の尊き御手より来たり、 我をば患難に会わせしのち、 約束の地なる神の御許に導くなり。 斯くてぞ我は苦しみを一挙に葬り、 また我が涙をば救い主手ずから拭い給わん。 ☆ 第三曲 アリア(バス;オーボエ・ソロ、通奏低音) ついに、ついにぞ我が軛(くびき)は 再び我より離れ去るべし。 その時我は主にありて力を得、 鷲の如くにせられん。 斯くて我は地を蹴って 飛ぶ翔(かけ)るとも、疲るることなし。 おお、今日にも時の来たらんことを! ☆ 第五曲 コラール(四声部;器楽全編成) 来たれ、おお、死よ、眠りの兄弟たる者よ、 来たりて我を連れ去れ。 我が小舟のとも綱を解きて 我を安けき港に運び行け! 世の人、或いは汝を恐れ憚らんとも、 我にとりては、喜ばしき客なり。 げに汝によりてこそ我は入り行くなれ、 こよなく美わしきイエス君の御許に。 持っているCDは、同じディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ歌うリステンパルト指揮モノラル録音(昭和二六年)盤とリヒター指揮ステレオ録音(昭和四四年)盤ですが、BWV82とは逆にモノラル盤のほうが、彼の若々しい声が聴けて数段良い。 ありがとうございました。 | |
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