■ 第十六課 日本海ノ海戰
日露戰役ニ、露國ハ連敗ノ勢ヲ回復セン爲メ、本國ニ於ケル海軍ノ殆ンド全力ヲ擧ゲテ、大艦隊ヲ組織シ、遠ク之ヲ浦潮斯德ニ送ラントス。
明治三十八年五月二十七日、此ノ大艦隊ハ朝鮮海峡ニ現ハレタリ。
東郷司令長官ハ全軍ニ出動ヲ命ジ、信號旗ヲ掲ゲテ日ク、
「皇國ノ興廢此ノ一戰ニアリ。各員一層奮勵努力セヨ。」
ト。
彼我ノ艦隊相迫ルヤ、敵艦隊先ヅ砲火ヲ開キシガ、我ハ之ニ應ゼズ、次第ニ近ヅキテ、六千めーとるニ至リテ、始メテ應戰ス。敵ノ艦隊忽チ亂レ、早クモ戰列ヲ離ルゝモノアリ。
風叫ビ、海怒リテ、浪山ノ如クナレドモ、我ガ砲手ハ物トモセズシテ、シキリニ砲撃ス。敵艦續々火災ヲ起シ、火煙海ヲオホフ。敵ハカナハジト、俄カニ路ヲ變ヘテ、逃レ去ラントス。我ハ急ニ其ノ前路ヲ遮リテ攻撃ス。敵ノ諸艦多大ノ損害ヲ受ケ、沈沒セルモノ亦多シ。」明クレバ二十八日、我ガ艦隊ハ欝陵島(ウツリョウトウ)附近ニ集リテ艦隊ヲ待チ、之ヲ包圍ス。
ねぼかとふ少將ハ白旗ヲ掲ゲ、戰艦四隻ヲ擧ゲテ降服シ、司令長官ろじぇすとうぇんすきー中將ハ傷ヲ負ヒテ捕ヘラレタリ。
此ノ兩日ノ戰ニ、敵艦或ハ撃沈セラレ、或ハ捕獲サセレテ、三十八隻ノ中、逃ゲオホセタルハ僅カニ數隻ノミ。敵ノ死傷及ビ捕虜ハスベテ一萬六百餘人。シカモ我ガ軍ノ死傷甚ダ少ナク、沈沒シタルハ水雷艇三隻ニ止レリ。
・ 練 習
一、二十七日ノ海戰ノ樣子ヲオ話シナサイ。
二、二十七日ノ海戰ノ樣子ヲ口語文ニオ作リナサイ。
三、日本海ノ海戰ニ、敵艦ノ受ケタ損害ヲオ話シナサイ。
四、次ノ詞ヲ讀ンデ、其ノ意味ヲ言ツテゴランナサイ。
(イ)包囲。 周圍。
(ロ)運動。 勞働。 出動。
(ハ)収穫。 捕獲。 捕虜。
五、~ 省 略 ~
勝ち戦(いくさ)の話は、何度聞いてもいいものですね。乃木希典大将が敗軍の将ステッセル將軍を武人として遇した「水師営の会見」は有名ですが、日本海海戦で負傷し捕虜となったロジェストウェンスキー司令長官に対しても、佐世保海軍病院に東郷平八郎元帥が見舞った逸話が残っています。
戦争という生命を懸けた戦いの中にも「武士道精神」「騎士道精神」という「道義」があった時代だったのでしょう。戦った者同士でなければわからない心情かも知れません。
そこへいくと、先の大戦では「仁義なき戦い」の泥沼に嵌った感があります。個々には「スラバヤ沖海戦」での帝國海軍駆逐艦「雷」による敵艦員救助等の美談があったにも拘わらず忘却せられ、「負ければ賊軍」と化した戦後、「弱虫の論理」が横溢した現状では、背後から先人の厳しい叱責が飛んできそうです。
ありがとうございました。
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