■ 第十七課 まっち
まっちハ價安ケレドモ、甚タ゛便利ナルモノナリ。平生まっちヲ使ヒ慣レタル人ハ、サホドニモ思ハザレド、此ノ物ノナカリシ昔ヲ思ヒ出ス時ハ、今更ニ其ノ便利ナルニ驚カザルヲ得ズ。
まっちノ製造ニハ、非常ナル手數ノカゝルモノナリ。先ヅ木材ヲ切リテ湯氣ニテ蒸シ、次ニ之ヲ細ク割リテ軸木トシ、更ニ火ニ乾カシテ頭ニ藥ヲ着ケ、其ノ固マルヲ待チテ箱ニ入ル。箱ハ薄キ木片ヲ折リ、其ノ上ニ紙ヲ張リテ造リ、外ガハニ藥ヲ塗ルナリ。
此ノ外、山ヨリ木ヲ伐リ出シ、紙ヲスキ、藥ヲ製スル等ノ手數マデ數ヘ上グレバ、一箱ノまっちガ我等ノ手ニ入ルマデニハ、數十人ノ手ヲ要スルヲ知ルベシ。之ヲ思ハバ、一本ノまっちモ粗末ニハ使フベカラズ。
まっちハ、今ヨリ凡ソ百年前ニ、發明セラレタルモノナリ。我ガ國ニテハ、初ハ專ラ輸入品ヲ用ヒタリシガ、明治八年ヨリ、國内ニテ之ヲ製造スルニ至レリ。今日ニテハ、神戸・大阪等ノ各地ニ於テ、其ノ製造甚ダ盛ンニシテ、外國ヘ輸出スルモノノミニシテモ、一年間ニ一千萬圓以上ノ金高ニ達シ、我ガ國輸出品中ノ重要ナルモノノ一ツトナレリ。
・ 練 習
一、次ノ文ヲ口語文ニ書キ改メナサイ。
平生まっちヲ使ヒ慣レタル人ハ、サホドニモ思ハザレド、
此ノ物ノナカリシ昔ヲ思ヒ出ス時ハ、今更ニ其ノ便利ナルニ
驚カザルヲ得ズ。
二、まっち製造ノ手數ヲオ話シナサイ。
三、我ガ國ノまっち製造ノ盛ンナコトニツイテオ話シナサイ。
四、~ 省 略 ~
たった一本の燐寸であっても、多くの人の手数を経て出来ている、ということがよくわかります。こういう説明の仕方って好きですね。燐寸がとても大切な物として受け止められます。この当時だって、燧石を擦って火を熾していた昔を思えば、大そう便利な文明の利器だったのでしょうね。
それが今やライターに取って代わられ、過去の遺物化(?)して、日常見かけることもなくなりました。子供時分には、擦った時の硝煙の臭いに惹かれて火遊びを繰り返し、若かりし頃は喫茶店の燐寸を蒐集していました。面はゆくも懐かしい想い出です。それも最近では、喫茶店から燐寸が消えました。僅かにコンビニで徳用燐寸が売ってある程度。
またまた昔話で恐縮ですが、小四の時、誰にも頼らず生きる訓練というのがありまして、燧石や錐揉みで火を熾そうと試みました。いやはや、たいへんな重労働でしたが、とうとう火は点いてくれませんでした。
体験をとおして、原始人の偉大さがよくわかりました。自分のことは何事も自分で出来たのですから。それに比べ、現代を生きる私たちは、見知らぬ他人の恩恵を受けていながら、誰の世話にもなっていないと錯覚し、傲慢になっていますまいか。そう自戒するのであります。
ありがとうございました。
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