■ 第十課 鶩(あひる)の自慢
古池に育ちたる鶩あり。鴨(かも)・鴎(かもめ)などにさそはれて、沼・川をわたり歩くうちに、羽軽くなりて、少しづつ飛び得るに至れり。されば、おひおひにうぬぼれの心を起し、仲間に向ひて、
「世の中に鳥獸は多けれど、我等ほど多藝なるはあるま
じ。飛ぶことも、泳ぐことも、歩くことも、歌ふことも、
心のまヽなり。鶯(うぐいす)は能く歌へども、泳ぐこと
を知らず。猫は能く鼠を捕ふれども、飛ぶことも、泳ぐ
ことも出來ず。」
などと言ふ。
皆々憎しと思へども、言ひまかされて、口をつぐみ居たり。
或る日、鶩は荷馬の來りて水を飲み居るを見て、例の如く自慢を始め、
「馬どの、御身は體大きくして、其のさま立派なれど、
物を荷ふこと、走ることの外に、なほ何か藝ありや。多分、
歌も歌へまじ、空高くも飛べまじ。とても我が多藝には
及ぶまじ。」
と言ふ。馬は見かへりて、
「如何にも御身は多藝なるべし。されど御身の藝は、
一として、まがひものならぬはなし。泳げども、鵜(う)
のやうにはあらず。飛べども、鴨・鴎のやうにはあらず。
歩むふりは見にくく、鳴く聲は鳥よりも聞きぐるしと知ら
ずや。つまらぬ藝の多からんよりも、善き一藝に高くすぐ
れたるが遥かにましなり。」
と言ふ。
さすがの鶩も恥ぢ入りて、こそこそと逃げ行きたり。
・ 練 習
一、此の鶩のことをまとめてお話しなさい。
二、此の課を讀んで感じたことをお話しなさい。
三、詞にははたらくものと、はたらかないものとあります。
次の例を讀んで、其の區別に注意しなさい。
・ はたらかない詞
馬・猫・花・葉・木・石・凡そ・實に・大層。
・ はたらく詞
(口語) (文語)
(本を)讀ま(ぬ・ない) (本を)讀ま(ず)(ば)
(本を)讀み(て)(ん)(で) (本を)讀み(て)
(本を)讀む (本を)讀む
(本を)讀む(人) (本を)讀む(人)
(本を)讀め(ば) (本を)讀め(ば)
(本を)讀め (本を)讀め
(花が)咲か(ぬ・ない) (花)咲か(ず)(ば)
(花が)咲き(て) (花)咲き(て)
(花が)咲く (花)咲く
(花が)咲く(時) (花)咲く(時)
(花が)咲け(ば) (花)咲け(ば)
(花)咲け (花)咲け
此のやうに、口語・文語とも、「讀む」は「ま・み・む・め」の四段に、「咲く」は「か・き・く・け」の四段にはたらくのです。
寓話が教科書に載ること自体、素敵ですね。現代の教科書にこうした話は採り上げられているのでしょうか。好奇心旺盛な子どもにとって、偉人の業績ばかりでなく、動物に言わせた方が情操を育む相乗効果が得られるような気がします。
現代教育では、何でもそこそこに出来る平均的な人間形成を目指しているように思われますが、それとは対極にある「一芸に秀でる」ことを是とした戦前ならではの確固たる教育方針が読み取れます。その前提には、人はめいめい違った能力を持っていて、それぞれが足りない部分を補完し助け合いながら世の中が成り立っているという認識があったればこそでしょう。
人の能力や関心がみな同じでは困るのです。一例ですが、いわゆる3Kの仕事をみんなが嫌がったら世の中がゴミと汚物だらけになるのは自明。最後には自分でやるしかなくなります。故に、自分に代わって働いてくれている人が居ることに感謝し、これらの人々に対して率直な敬意が払えるように育てるのが本来の教育であり躾ではないのか、と愚考する次第であります。
ありがとうございました。
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