第六學年用第二〇課「鎌 倉」
一、七里(しちり)が濱(はま)のいそ傳(づた)ひ、
稻村崎(いなむらがさき)、名將(めいしやう)の、
劔(つるぎ)投(とう)ぜし古戰場(こせんぢやう)。
二、極樂寺坂(ごくらくじざか)越(こ)え行(ゆ)けば、
長谷觀音(はせくわんのん)の堂(だう)近(ちか)く、
露坐(ろざ)の大佛(だいぶつ)おはします。
三、由比(ゆひ)の濱邊(はまべ)を右(みぎ)に見(み)て、
雪(ゆき)の下道(したみち)過行(すぎゆ)けば、
八幡宮(はちまんぐう)の御社(おんやしろ)。
四、上(のぼ)るや石(いし)のきざはしの
左(ひだり)に高(たか)き大(おほ)いてふ、
問(と)はばや、遠(とほ)き世世(よよ)の跡(あと)。
五、若宮堂(わかみやだう)の舞(まひ)の袖(そで)、
しづのをだまきくりかへし
かへしし人(ひと)をしのびつつ。
六、鎌倉宮(かまくらぐう)にまうでては、
盡(つ)きせぬ親王(みこ)のみうらみに、
悲憤(ひふん)の涙(なみだ)わきぬべし。
七、歷史(れきし)は長(なが)し七百年(しちひやくねん)、
興亡(こうばう)すべてゆめに似(に)て、
英雄墓(えいゆうはか)はこけむしぬ。
八、建長(けんちやう)・圓覺(ゑんがく)古寺(ふるでら)の
山門(さんもん)高(たか)き松風(まつかぜ)に、
昔(むかし)の音(おと)やこもるらん。
これも、嫌というほど歌わされた曲です。担任の先生が奏でるオルガンの響きが未だに耳に残っています。習った頃は、鎌倉が何処にあるかも知らず、漠然と歌ってました。日帰りでも行ける場所に住まっている現在、ゆっくり観光したいと思いおります
ありがとうございました。
コメントを投稿
コメントは記事の投稿者が承認してから表示されます。
アカウント情報
(名前とメールアドレスは必須です。メールアドレスは公開されません。)
コメント