第四學年用第二二課「村の鍛冶屋」
一、しばしも止(や)まずに槌(つち)うつ響(ひびき)。
飛散(とびち)る火(ひ)の花(はな)、はしる湯玉(ゆだま)。
ふいごの風(かぜ)さへ息(いき)をもつがず、
仕事(しごと)に精出(せいだ)す村(むら)の鍛冶屋(かぢや)。
二、あるじは名高(なだか)きいつこく老爺(おやぢ)、
早起(はやおき)・早寢(はやね)の、病(やまひ)知(し)らず。
鐵(てつ)より堅(かた)しとほこれる腕(うで)に
勝(まさ)りて堅(かた)きは、彼(かれ)がこころ。
三、刀(かたな)はうたねど、大鎌(おほがま)・小鎌(こがま)、
馬鍬(まぐは)に作鍬(さくぐは)、鋤(すき)よ、鉈(なた)よ。
平和(へいわ)のうち物(もの)休(やす)まずうちて、
日毎(ひごと)に戰(たたか)ふ、懶惰(らんだ)の敵(てき)と。
四、かせぐにおひつく貧乏(びんぼふ)なくて、
名物(めいぶつ)鍛冶屋(かぢや)は日日(ひび)に繁昌(はんじやう)。
あたりに類(るゐ)なき仕事(しごと)のほまれ、
槌(つち)うつ響(ひびき)にまして高(たか)し。
この唱歌もよく知られた曲でしょう。でも、鍛冶屋さんが村から消えましたね。農具を作ることもなくなったからでしょうか。
実は、生まれ故郷には、この鍛冶屋さんがありました。
母親におんぶされている頃から、異常なまでの興味がありましたね。火花が飛び散る処なんか最高でした。おんぶされたまま、鍛冶屋の前を通り過ぎようとすると、足をバタバタさせて止まるよう合図するのですが母には通じず、「バタバタせん!」と逆に叱られていました。
村から福岡市内へ引っ越したのが昭和27年12月のことですが、その後、昭和30年代初めには鍛冶屋さんは廃業してしまいました。寂しい限りです。
ありがとうございました。
コメントを投稿
コメントは記事の投稿者が承認してから表示されます。
アカウント情報
(名前とメールアドレスは必須です。メールアドレスは公開されません。)
コメント