第二學年用第三課「二宮金次郎」
一、柴刈(しばか)り、縄(なは)なひ、草鞋(わらぢ)をつくり、
親(おや)の手(て)を助(す)け、弟(おとと)を世話(せわ)し、
兄弟(きやうだい)仲(なか)よく孝行(かうかう)つくす
手本(てほん)は二宮金次郎(にのみやきんじらう)。
二、骨身(ほねみ)を惜(を)しまず仕事(しごと)をはげみ、
夜(よ)なべ濟(す)まして手習讀書(てならひどくしよ)、
せはしい中(なか)にも撓(たゆ)まず學(まな)ぶ
手本(てほん)は二宮金次郎(にのみやきんじらう)。
三、稼業大事(かげふだいじ)に、費(つひえ)をはぶき、
少(すこ)しの物(もの)をも粗末(そまつ)にせずに、
遂(つひ)には身(み)を立(た)て、人(ひと)をもすくふ
手本(てほん)は二宮金次郎(にのみやきんじらう)。
戦前の超有名人二宮金次郎(尊徳翁)その人なりは、子供の頃、学校で教わらなくとも児童本等でよく知っていました。が、この唱歌はずっと後年になるまで聴いたことがありませんでした。
歌われているとおりの自学自習、勤勉、兄弟愛、孝行、倹約等を実践し、世のため人のために尽くした日本人の鑑ともいうべき偉人が、なんで戦後厭われるようになったのか、理解に苦しみます。想像するに、大量消費を是とし、労働は苦役と考え、享楽な生活を好み、自分さえよければ他人はどうでもよい、といった易きに流れるアプレ価値観とは対極にある生き方なので、実に都合が悪かったのでしょうね。
これからも出て来ますが、戦後生まれの自分が学校で教わらなかった唱歌を拾ってみると、「戦い」を想起させるもの、修身(道徳)に通じるもの、が見事なまでに消えていることがわかります。
裏返せば、戦前教育の「唱歌」「修身」「國語」の三点セットにこそ、“誠実で優しくて勇気ある日本人本来の心”を育んできた淵源があることに気づかされます。
渡部昇一先生仰るところの「敗戦利得者」たちが邪魔し隠し続けてきた、先人たちとの“心の断絶”を払拭し、“同じ心”を取り戻すことができれば、現代日本人といえども必ず蘇ると信じます。
ありがとうございました。
コメントを投稿
コメントは記事の投稿者が承認してから表示されます。
アカウント情報
(名前とメールアドレスは必須です。メールアドレスは公開されません。)
コメント