JR大分駅南側に、上野墓地公園という丘の杜があります。私設博物館「予科練資料館」(川野喜一館長)の少し先にある高台です。ここから遠望できるのですが、住宅・ビル・コンビナート等の人工物が増えたほかの眺めは変っていません。東には日鉱佐賀関の煙突の向こうに四国の佐多岬、真北には国東半島と別府湾、北西から南西にかけて、硫黄山→高崎山(野猿で有名)→鶴見岳→由布岳→雨乞山→大空山と連なる九重連峰は昔のままです。自然界は悠久ですね。
その名のとおり、墓地です。江戸時代と思われるものから平成の真新しい墓まで、ひしひしと並んでいます。古いものは墓石が苔生しているのですぐわかります。また、古いほど小さく質素なことに気がつきました。新しければピカピカに輝くのは当然としても、大きく華美になってきたようです。
父系の祖先が眠るカナダ・トロント市のメモリアルパークを思い出しました。ここも同じ墓地公園です。幾何学的、合理的、人工的に整備された場所で、綺麗ではあるが、いかにも西洋趣味という印象でした。比べて上野墓地公園は、雑然としているようで、きっちり自然と融合しています。苔生した墓石に「わび」「さび」を感じます。すばらしいなあ。
近くに大分市美術館(入場料三百円)があり、ここも覗いてきました。幕末から現代まで大分ゆかりの人の作品(主に日本画)が展示されています。なぜか平山郁夫画伯の作品が一点(国宝「富貴寺」)だけありました。福田平八郎、高山辰雄(絵好きだった同姓同級生が思い浮かぶ)等もいいけど、田能村竹田の掛け軸や屏風画のほうが好きです。
昨日の「神仏習合」の補足です。実は大分縣護國神社の敷地内に仏閣があって「西南の役」戦没者の墓も存在します。警察官(官軍)と無頼の徒(賊軍)双方約二百計四百余の墓石が並んでいます。そして、「満蒙開拓義勇軍顕彰碑」「海軍予科練記念碑」なども建っています。宮司によると、自衛官の殉職者も合祀されていると聞きました。明治八年に招魂社として創建され、昭和天皇皇后両陛下は、昭和四十一年に御親拝あそばされたそうです。
ところで、ファミリーレストランを何回か利用しましたが、小母さん店員が多いのに驚きました。ドイツやカナダのマクドナルドも小母さんが多いです。若い娘を揃えた都会では考えられません。ホテルのハウスキーパーも概ね六十歳前後の小母さんたちです。ここでの「小母さん」は良い意味で使っています。はっきり言って、学問など余りなさそうな方々ばかりでしたが、一生懸命生きている姿に感動を覚えます。そして彼女たちが語ってくれる話に「ウソ」がないのです。それは、長い人生経験に裏打ちされた対人関係のノウハウをマスターしているからだろうと勝手に想像しました。
若い娘は「目の保養」にはよいが、マニュアルどおりの受け応えしかできず、閉口します。上司に言われるまま、自分で何も考えていないのです。なにが言いたいのかと申しますと、「若者」には若者の特権があり、「年寄」には年寄の特権があるという現実です。
社会人になって初めて保険の外交に出るとき、教官から「政治と宗教の話は絶対するな。」と指導されました。新入社員の頃は何のことやらわかりませんでしたが、営業経験を積むにつれて、それが理解できるようになりました。
人間みな同じように見えても、個々には死んでも譲れない「核」を必ず持っていることにほかならない、と今では思っています。
2007年3月7日(水)の記事
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