学校教育に「軍事教練」を採り入れるべきである。何も、徴兵制を復活せよとまでは言わない。もちろん、戦闘要員を育成するためでもない。自分の身を護るために絶対に必要だからだ。
自衛隊を招き、学年(体力)に応じて男は完全武装で行軍・匍匐・退避訓練、女は看護・避難訓練を指導してもらう。あくまで体力の限界を思い知るだけで十分である。
訓練を経れば、必ず軍人(自衛官)を尊敬するようになる。靖國神社・護國神社にも挙ってお参りするようになる。そして、誇らしげに軍歌も歌うようになる。
逆に、軍隊(自衛隊)を貶めてきた似非平和主義者は、見向きもされなくなる。もともと無責任で戦う勇気のない弱虫連中だからだ。教練で落伍者が続出し、国民の物笑いになるだろう。
勤めていた会社で総務にいた折、警察OB、消防OBの方と接してきた。委託警備会社の方は多くが予備自衛官だった。彼らの凛とした姿を見るにつけ、常々「軍事教練」の必要性を感じてきた。
「地震」「雷」「火事」「親父?」に備えて、防災・防犯訓練は、学校、地域、職場を問わず、広く実施されている。一生に一度あるかないかわからない天災・事故であっても、備えるのが当然である。戦争も同じだ。起こらないことを祈るが、相手国・組織がその気なら、防ぎようがない。直接の戦闘は職業軍人に任せるとしても、国民の支持がなければ戦えない。修羅場ともなれば、やられた似非平和主義者は、自衛隊が護ってくれなかった、などと百八十度違うことをほざき始めるに決まっている。太陽が昇れば暑いといい、沈めば暗いと常に不平不満を口にする人たちである。彼らの肩身を狭くするには「軍事教練」の踏み絵を踏ませるのが一番だ。
近隣に邪悪な国家を抱えているのだから、善隣友好などと暢気なことを言っている場合ではない。砲弾をぶち込まれてから逃げ惑うようでは遅すぎる。我が身を護るためにも、日頃の「軍事教練」を粛々と実行しなければならない。
2006年9月18日(月)の記事
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