半世紀前の昭和31年は、小3だった。当時は、“にわとり”を飼っていた。自分が世話係だったので、ことのほか思い入れがあった。毎日、産んだ地卵が食卓に上り、とても美味しかった。ところが、卵を産まなくなったある日、父親が絞め殺してしまった。その日の夕食は、チキンカレーだったが、食べれなかった。バタバタする我が鶏の毛を、容赦なく毟り取る親父が、このときばかりは、地獄の鬼か閻魔大王に見えた。食事は、“生命をいただく”という発想があったように思う。
就学前の自分の写真を見ると、黒い犬を必ず連れている。まるで、上野公園の西郷さんの銅像のように・・・。家主である隣の農家が飼っていた犬だが、ほかに農耕馬や農耕牛、猫もいた。動物好きな私を知って、隣のおばさんは気を利かせてくれ、エサを与えるのは常に私の役目だった。
この犬は、“クロ”と呼ばれていた。面倒をみたこともあって、よく懐いてくれた。怖い叔父さんがやってくると、臆病な私に代わって、吠えまくり、追い返してくれたりもした。都市部へ引越し、ちょうど小3の頃に訪ねてみると、もう“クロ”は老衰で死んでいた。近くの神社の傍に“クロの墓”をたててくれていた。一昨年、訪ねたときには、田圃に代わって住宅が密集し、神社は残っていたものの、“クロの墓”はもうなかった。
このように、自分では動物愛護家と思い込んでいたが、先日、妹から、「そんなことあるもんね。残酷だったじゃないの兄ちゃんは。蛙を引き裂いたり、火あぶりの刑にするとか言ってたじゃない。都合の悪いことは忘れているんだから・・・。もう。」と言われてしまった。
靖国神社には、軍馬、軍犬、軍鳩の慰霊碑がある。護国の動物も忘れない、いかにも日本的で素晴らしい。自分の近親者に護国の英霊はいないが、靖国神社参拝の際、忠犬“クロ”を思い軍犬碑に、無名のにわとりを偲び軍鳩碑に、必ずお参りしている。
2006年8月8日(火)の記事
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