最近、野球をあまり見なくなったが、久しぶりに興奮した。今回のWBCについても、あまり興味があったわけではない。プロ野球チームなので、真剣味に欠ける気がしたからだ。二次リーグで韓国に敗れた時点で、正直、これまでと思っていた。米国戦での審判の判定をめぐる論争もあった。これに対し、王監督はともかく、選手が不満を口にしなかったのがいい。だから、野球の神様が、日本チームを見捨てなかったのだ。たなボタの準決勝進出が転がり込んできた。準決勝の韓国戦では、ここまで負けなしに慢心した韓国を下して決勝進出。自信過剰気味の韓国国民をぬか喜びに終わらせた。
実は、準決勝までの試合は見ていない。タイを旅行していたからだ。それでも、NHKの海外向け衛星放送等で状況は把握していた。余談になるが、この海外向けNHK放送は、場所によって違うものの、ご丁寧なことに、わざわざ英語に吹き替えしてある。しかも、著作権とやらで、肝心な部分の映像が流れない。いったい何が起こっているのか判然とせず、当惑するばかりだ。日本では、ニュース番組に字幕が多すぎる、との批判があるが、このときばかりは、字幕のありがたさが身に沁みた。日本人でありながら、日本の放送を、字幕で理解するとは、なんとも奇妙な光景ではある。
日本人の特徴は、潔さにあるといわれる。負け惜しみを言ったり、敗因を他人のせいにする選手が、今回のチームにはいなかった。それぞれの選手が、使命感(責任感)に燃え、黙々と、目標に向かっていたような気がする。イチローが、「同じ相手(韓国)に三度続けて負けるわけにはいかない。」と語っていたのはその表れだろう。現代に生きる「大和心」の持ち主は、このイチローと日産のカルロス・ゴーン社長に代表される、と信じて疑わない。
ともかく、トリノ五輪でのふがいなさに憤っていた心が、「野球世界一」でようやく溜飲が下がる思いがした。めでたし。めでたし。
2006年3月21日(火)の記事
コメント