中国や韓国は、距離的には近いものの、知れば知るほど嫌になることが多い。文化がまるで違うからだ。騙すより、騙される方が悪いといわんばかりの文化には、とてもついていけない。もちろん、そんな人ばかりではないが、両国とも歴史的に圧政に苦しんできただけに、為政者を信用していない。極論すれば、自分以外の他人には信用がおけず、身を護るための処世術なのだろう。そこへいくと、タイと日本は共通点が多いような気がする。
タイの田舎へいくと、風景もさることながら、自分の子供時代にあった「助け合いの精神」が生きている。ある村で、2歳くらいの可愛い女の子がいたので、封を切ったキャラメルを箱ごとあげた。幼女はワイ(合掌)をして丁寧な礼をいった。そのまま、自分で食べると思っていたら、周りの子供たちに、一粒ずつわけあたえるではないか。親からしつけられたわけでもあるまい。村人の行動を見ながら、自然に身についたものでなければ、こうしたふるまいは、なかなかできるものではない。
子供の頃、柔和だった親父に、ひどく怒られたことがある。米占領軍兵士にハーシェイのチョコレートをもらって、得意げに帰ったときだった。「乞食みたいな真似をするな」と怒鳴られた。子供の自分には、なぜ叱られたのか、わからなかった。いま、ようやく理解できるようになった。
親父はカナダ生まれの日系二世である。幼児期に日本の母方実家にあずけられ、家族の中で一人だけ、日本人として育てられた。戦中は、二等兵として中国戦線に出征している。戦後は、米軍通訳をしていたが、親戚筋はこれを快く思っていなかったらしい。そのとばっちりが、こちらに飛んできたのかもしれない。いや、それよりも、貧乏を恥としない日本の伝統を重んじていたからだろう。これぞ、「大和心」である。親父は「ふんどし」を愛用していた。風呂あがりの親父に「ふんどし」を届けるのは、長男の自分の仕事であった。
タイの田舎には、日本の「大和心」を思わせる人情が残っている。上記の幼女の行動はその一例だが、豊かさや便利さとともに消えていくとすれば、もったいない話である。
2006年3月20日(月)の記事
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