『障子張り』
=出典「徒然草」吉田兼好著(國民學校第五學年「國語」)
相模守時頼の母は、松下禅尼とぞ申しける。守を入れ申さるる事ありけるに、すすけたる明り障子の破ればかりを、禅尼手づから、小刀して切り回しつつ張られければ、兄の城介義景、その日の經營して候ひけるが、「給はりて、なにがし男に張らせ候はん。さやうの事に心得たる者に候」と申されければ、「その男、尼が細工によもまさり侍らじ」とて、なほ一間づつ張られけるを、義景、「皆を張りかへ候はんは、はるかにたやすく候ふべし、まだらに候ふも見苦しくや」と重ねて申されければ、「尼も、後はさはさはと張りかへんと思へども、今日ばかりは、わざとかくてあるべきなり。物は破れたる處ばかりを修理して用ゐる事ぞと、若き人に見習はせて、心つけんためなり」と申されける。いとありがたかりけり。
世を治むる道、儉約を本とす。女性なれども聖人の心に通へり。天下を保つ程の人を、子にて持たれける、まことに、ただ人にはあらざりけるとぞ。
相模守時頼の母は、松下禅尼という人であった。あるとき、相模守を自邸に招き入れられたことがある。そのおり、すすけた明り障子の破れたところだけを、禅尼はみずから小刀であちこち切ってお張りになっていたので、接待の手配をしてそばに控えていた兄の城介義景が、「それをお預かりして、なにがしという男に張らせましょう。彼は、そのような仕事にたけた者です」と申されると、禅尼は、「その男は、この尼よりもまさか上手ではありますまい」と言って、なおも一こまずつお張りになるので、義景は、「障子全体を張り替えられれば、そのほうがはるかに簡単でしょうに。ところどころを修理して、まだらになるのも見苦しくはございませんか」と重ねて申されると、「尼も、いずれはさっぱりと全部張り替えようと思っていますが、今日だけは、わざとこうしておくのです。物は傷んだ所だけを修理して使うのだと、若い人に見習わせて、注意を促すためです」と、禅尼は申されるのであった。世にもまれな、感動的な話である。
世を治める道は、倹約が肝要である。この方は、女性ではあるが、聖人の心に通じている。天下を治めるほどの人を子に持たれたのは、なるほど、ただの人ではなかったのだと語りつがれている。
2006年3月6日(月)の記事
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