中国へは1984~88年の間、五回渡航した。海外旅行に際しては、お土産品として渡航先の音楽メディアを購入せしめることにしている。当時日本ではCDが主流になっていたが、中国には未だ製作技術がなく、仮にCDが店頭で売られていたとしても、日本メーカーの委託生産品だったりした。従い、概ね音楽カセットテープの時代であった。ところが、もはやカセットデッキ自体が遺物と化した今日、ブツはあれど聴くこと能わずなのだ。だからこそ、余計に懐かしいというわけだ。幸いにしてYouTubeで観る(聴く)ことが出来る。
軍港之夜(1980年)
by 蘇小明
军港的夜啊静悄悄
海浪把战舰轻轻地摇
年轻的水兵头枕着波涛
睡梦中露出甜美的微笑
海风你轻轻地吹
海浪你轻轻地摇
远航的水兵多么辛劳
回到了祖国母亲的怀抱
让我们的水兵好好睡觉
军港的夜啊静悄悄
海浪把战舰轻轻地摇
年轻的水兵头枕着波涛
睡梦中露出幸福的微笑
海风你轻轻地吹
海浪你轻轻地摇
年轻的水兵多么辛劳
待到朝霞映红了海面
看我们的战舰又要起锚
軍港の夜はひっそり静まり
波が艨艟を軽々と揺らす
若い水兵は波を枕にしながら
夢の中にいて甘く微笑む
海の風よあなたは軽々と吹き
海の波よあなたは軽々と揺らし
遠洋航海の水兵の苦労は多く
帰り着いた祖国は母の抱擁
私達の水兵をよく眠らせて
軍港の夜はひっそり静まり
波が艨艟を軽々と揺らす
海の風よあなたは軽々と吹き
海の波よあなたは軽々と揺らし
遠洋航海の水兵の苦労は多く
朝を待って海面は赤く染まり
見よ我らの艨艟をまた出港する
日本なら「軍歌」に分類される歌曲かもしれないが、勇猛果敢な軍隊とは裏腹の癒し系に仕上げられているところが風変わりで面白い。伴奏が海軍政治部歌舞団軽音楽隊とあり、蘇小明さんも海軍所属の歌手ということになる。カセットは吹奏楽伴奏だった気がするが、映像に違和感はないので記憶違いだろうか。
大海啊故郷(1982年)
by 関牧村
小时候妈妈对我讲
大海就是我故乡
海边出生 海里成长
大海 啊大海 是我生长的地方
海风吹 海浪涌 随我飘流四方
大海 啊大海 就像妈妈一样
走遍天涯海角 总在我的身旁
小时候妈妈对我讲
大海就是我故乡
海边出生 海里成长
大海 啊大海 是我生长的地方
海风吹 海浪涌 随我飘流四方
大海 啊大海 就像妈妈一样
走遍天涯海角 总在我的身旁
大海 啊大海 就像妈妈一样
走遍天涯海角 总在我的身旁
大海啊故乡 大海啊故乡
我的故乡 我的故乡
小さい頃、母は私に言った
大きな海はまさに私の故郷
海辺で生まれ 海で育ち
大海よああ大海は 私の育ったところ
潮風が吹き 波が起こる 私について四方に流れる
大海よああ大海は 私の母のよう
どこにでもあり ずっと私のそばにいる
小さい頃、母は私に言った
大きな海はまさに私の故郷
海辺で生まれ 海で育ち
大海よああ大海は 私の育ったところ
潮風が吹き 波が起こる 私について四方に流れる
大海よああ大海は 私の母のよう
どこにでもあり ずっと私のそばにいる
大海よああ大海は 私の母のよう
どこにでもあり ずっと私のそばにいる
大海よ、ああ故郷 大海よ、ああ故郷
私の故郷 私の故郷
映画『大海在呼唤』がオリジナル(合唱曲)なので、関牧村さんが原唱歌手というわけではないが、スケールの大きな伴奏とオペラチックな歌唱が気に入っている。彼女の出自は満州族なのだとか。そのため、文化大革命時には両親が迫害をうけ、大変な辛苦に遭ったらしい。しかし、現在は中国音楽家協会副主席に収まっているというから、たいそう出世したものだ。
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