中国・秦剛外相「解任」舞台裏
「お茶の誘い」=「指導」を受けた筆者がみた元祖「戦狼外交官」の〝失脚〟
8/1(火) 17:00配信/夕刊フジ電子版
【ニュース裏表 峯村健司】
中国の外交を仕切ってきた秦剛(しん・ごう)国務委員兼外相(57)が25日、解任された。理由は明らかにされていないが、中国外務省のホームページから抹消され、中国のネット検索もできなくなっている。「失脚」とみて間違いない。
実は、筆者は秦氏が失踪した6月末の段階で異常を把握しており、自身のツイッター上でもそのことを示唆していた。この背景に何があったのだろうか。筆者は日本人の中で秦剛氏ともっとも会話を交わした一人だろう。これまでの秦氏とのやりとりや経歴を振り返りながら、解任の舞台裏を探っていきたい。
秦氏と最初に対面で会ったのは、朝日新聞北京特派員として赴任した直後の2007年。秦氏は中国外務省の報道官として定例会見をしていた。他の報道官と比べて強い調子で、外国メディアの質問をバサバサと切り捨て、欧米諸国や日本のことも完膚なきまでに糾弾していたのが印象的だった。
元祖「戦狼外交官」と言っていいだろう。
秦氏からは、しばしば「お茶」に誘われた。これは中国外務省の隠語の1つで、外国メディアの報道に〝指導〟するときに使われる。筆者が08年の北京五輪前、中国の少数民族や人権活動家の弾圧について書いた記事で呼び出された。秦氏は表情一つ変えずに筆者に「厳命」した。
「朝日新聞の歴代特派員は、わが国と良好かつ友好的な関係を築いてきた。あなたの蛮勇によって、先人たちの遺産を破壊するような愚行をしてはならない」
何とも、上から目線の態度に腹が立ったが、反論しても生産的ではないので、聞き流した。
その後、秦氏は駐英公使となった後、11年に報道局長として戻ってきた。さらに居丈高な態度に磨きがかかっていたように感じた。筆者が中国人民解放軍をめぐるスクープや、中国共産党高官のスキャンダルを書き続けていると、秦氏との「お茶」の回数は増えた。そして、ついに12年末にはこう通告された。
「あなたの記事は、わが国に対して非友好的で、上層部も問題視している。このままの姿勢では記者ビザは延長できなくなる」
記者ビザは1年ごとの更新で、失効したら中国での取材は続けられない。露骨な「脅し」ともいえた。だが、記者としての言説や取材を曲げることはできない。筆者は翌13年春、6年間務めた北京を後にした。
こうした秦氏の「戦狼ぶり」を、習近平国家主席は高く評価していたようだ。15年に自らの外交活動を取り仕切る礼賓局長に登用し、外遊に同行させた。21年には駐米大使、昨年12月に外相に抜擢(ばってき)すると、今年3月には副首相級の国務委員に就けた。
まさに「習近平人事」の象徴ともいえる存在となった。
ではなぜ、習氏の「秘蔵っ子」ともいえる秦氏が、わずか半年ほどで失脚に追い込まれたのだろうか。SNS上では、香港メディアの記者との不倫と隠し子が原因だったとの情報が不自然なほど多く出ている。
しかし、そのようなプライベートの問題だけで、国家指導者である国務委員が失脚することはあり得ないと断言できる。過去にもある外相が不倫をしていたが、一切不問となっていることを筆者は知っている。
今回の秦氏の処分は、「国家の安全」にかかわる深刻な容疑がかけられているとみていいだろう。次回でその背景を検証していきたい。
■峯村健司(キヤノングローバル戦略研究所主任研究員)
コメント総数;19件
一、泰前外相が、駐米大使だったことから王元外相に比べ対米融和外交の仕切を期待し、対米外交に失脚が影響するとの論調が見られたが、戦狼外交の申子のような人物に何故日本のメディアは単純な情緒的分析しか出来ないのだろうか。
二、この記事の有難さは、失脚した秦鋼外相の分からない真実より、彼がお茶に誘った際の警告の中に「朝日新聞の歴代特派委員は、わが国と良好かつ友好的な関係を築いてきた」の発言で、はからずも事実を歪曲した中国への忖度報道姿勢を貫く朝日新聞の正体を向こうさんが暴露したことでしょう。やはり隠していてもバレますね。
三、この戦狼外交官、赤ずきんちゃんにやられてしまったということだな。
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ニュースとしては些か〝旧聞″に属するゆゑ、ネットユーザーの興味が萎んでかコメント数も少ない。筆者の勤め先である芙蓉G(旧安田財閥)系キャノンは、写真機(カメラ)メーカーとしては三菱系日本光学(ニコン)と並んで日本を代表する老舗である。中国へのめりこむニコンに対し、キャノンは警戒心を露わにしている。加えて親米右派系の本紙と、記事に出て来る反米左派系朝日新聞ではあまりにも対照的である。依って、当該記事は、親米右派の観方と言っても過言ではあるまい。
これは飽くまで日本の既存メディア(新聞雑誌TVラジオなど)に於ける米中を軸とした政治スタンスだ。本筋から離れるが、同じことが来年1月の台湾総統選挙戦にも当て嵌まる。現在、頼清徳(民主進歩党=与党)、侯友宜(中国国民党)、柯文哲(台湾民衆党)の三つ巴だ。現時点(7月25日)の世論調査では、頼(支持率約35%)、柯(支持率約25%)、侯(支持率約20%)の順となっている。
戦後、大陸から渡来した中国国民党関係者の子孫(出自が中国人)にせよ、もはや台湾の有権者はほぼ全員が台湾生まれなのが実態である。李登輝の出現で民主化が進んだ’90年代以前は、中国国民党の一党独裁であった。その意味で、中国国民党の圧政体質は中国共産党と同じなのだ。
台湾のニュースは、日本語版を出している中華民国国営中央通訊社の記事を参考にしている。もともと中国国民党の御用通信社だったので、創設地は戦前の広州。ところが、民主化された現在は、〝国営″の看板を掲げている以上、政権与党(=民進党寄りにならざるを得ず、下野した国民党とは距離を置くかのようなスタンスをとっている。
中国国民党(=中華民国)は、戦前から〝反共″を国是としてきた。1980年代の台湾は蒋経国総統時代であった。単身訪台した際、ヒマツブシに劇場映画を観に行ったことがある。時代劇と現代劇の二本建だったと思うが、上映前に観客全員が起立して国歌『三民主義』斉唱。その後政治宣伝映画が映される。戦車・軍艦・戦闘機などの映像に〝殲滅!共匪!″の勇ましい文字が躍る。
【共匪(「共産党匪賊」)】-きょうひ-
戦前、国民(党)政府時代の中国で、共産党の下に活動したゲリラを謗って言った語。
【匪賊】-ひぞく-
徒党を組んで出没し、殺人・掠奪・強姦などを専らとする盗賊集団。匪徒。
現代中国は、その共匪に乗っ取られているのだから、内情は推して知るべしだ。ところが台湾に逃れた中国国民党は、望郷の念に駆られてか、何時の間にか「反共」から「容共」に宗旨替えしてしまい、習近平に尻尾を振る情けない有様である。台湾で国民党の支持率が凋落したわけか判った気がする。
1980年代、台湾・中国双方を旅行したが、台湾が(日本より)10年遅れとすれば中国は終戦直後のまま、といった風情だった。北京で単独行動(本来、不許可)した際、ホームビデオカメラを持っていたので物珍しさからか群衆に囲まれたことがある。簡単な北京語なら或る程度解せるので質疑応答となった。
Q「(旅費は)公費か?」「職業は?」「年収は?」などなど。年収を訊いた彼らは「嘘だ」「信じられない」と口々に叫んだ。当然である、鄧小平の公式年収より無名の若造(37歳)のほうが遥かに多かったのだから。
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