中国は本当に侵攻するのか…台湾と日本の「防衛交流」の重要性
元参謀総長「非公式でも当局間の接触を進めるべき」
4/27(木) 17:00配信/夕刊フジ電子版
【山下裕貴 目覚めよ日本】
「中国は本当に台湾に侵攻するのか」
その質問に対して、私は「イエス」と答えている。さまざまな見方があるが、それほど遠くない時期との認識は米軍幹部・専門家に共通する。
2021年3月、当時の米インド太平洋軍、フィリップ・デービッドソン司令官が上院公聴会で、「今後6年以内に中国が台湾に侵攻する可能性がある」と発言した。
今年2月には、米CIA(中央情報局)のウィリアム・バーンズ長官が「習近平国家主席が、27年までに台湾侵攻の準備を完了するように、指令したとの情報を得ている」と驚くべき情報を口にしている。米国は、中国の政権中枢に通じる重要な情報源を危険にさらしてまで、中国の侵攻の動きを牽制(けんせい)した。事態はそれほどまで切迫している。
今まで米国は台湾に関して、軍事介入するともしないとも言わずに、いわゆる「あいまい戦略」を取ってきた。それは「軍事介入する」と言い切れば台湾が独立の動きに出る可能性があり中国の台湾侵攻の口実を与える。逆に「軍事介入しない」と言えば中国が侵攻するからである。
しかし、ジョー・バイデン米大統領は台湾を確実に防衛すると発言している。台湾防衛に関して従来のスタンスからより強く示したのは、米国政府が危機感を持っているからである。米国は軍事介入の前提が、日本の参戦であると考えているだろう。
台湾の蔡英文政権で参謀総長を務めた李喜明氏は「米台間には、共通の指揮・通信体制も作戦計画もない。このため『台湾有事』の際、米国と台湾が共同作戦を行うことは難しい」と産経新聞の取材で述べている。
もちろん国交のない日本も当然のことながら台湾との共同作戦は行えない。台湾は日米と同じ、「自由民主主義」や「法治」「人権」といった価値観を共有し、経済的にも深いつながりのある「親日国」である。
李元参謀総長は「日本は『台湾有事』において枢要な役割を担う。しかし、台湾を助けてくれるとは思わない。介入した米軍を日本が支援する場合に、台湾の防衛戦略を知り準備することが日本の国益となる。非公式でも防衛当局間の接触を進めるべきだ」と述べている。
「日本防衛有事」の際、米国とともに台湾との協力が実現できれば、効果的な防衛作戦が遂行できるだろう。
新たな「国家安全保障戦略」に基づき、台湾との防衛交流を開始する時期ではないだろうか。
■山下裕貴(やました・ひろたか) 1956年、宮崎県生まれ。79年、陸上自衛隊入隊。自衛隊沖縄地方協力本部長、東部方面総監部幕僚長、第三師団長、陸上幕僚副長、中部方面総監などの要職を歴任。特殊作戦群の創設にも関わる。2015年、陸将で退官。現在、千葉科学大学客員教授。新聞やテレビ、インターネット番組などで安全保障の解説を担当する。著書に『完全シミュレーション 台湾侵攻戦争』(講談社+α新書)=写真、『オペレーション雷撃』(文藝春秋)。
コメント総数;16件
一、台湾の中国に批判的な出版社代表が中国で逮捕されて
いるという報道を見た。
中国のフランス大使がウクライナは元々ロシアの領土
だと発言してバルト三国等の旧ソ連から独立した国を
中心に批判が続出している。
沖縄・尖閣周辺での中国軍の活動は依然として
活発だ。
日本国内のマスコミはちょっとだけ報道するが、
本来は大変な危機的状況だとして、中国の行動を
批判する報道をすべきだ。
アメリカ軍抜きで中国と戦うことは考えられないが
自衛隊が台湾軍といざという時に備えて情報交換や
合同訓練をすべきだと思う。
二、情報戦やスパイ戦術といった意味では既に侵攻は始まっている。それは日本も同じ。ただし、ミサイルなどの爆撃をしようとすれば、当然反撃もある。中国とて無傷でいられる訳ではない。
スパイ防止法や、ミサイル配備、内と外の侵略に備える事が喫緊の課題だろう。戦争を仕掛けようものなら、中国が崩壊する、と警告する姿勢も各国の課題だ。
中国がまともな国家になる為には最終的には中国国民が目を覚さないとならないだろう。独裁態勢を崩すために、彼らにも働きかける必要がある。
メディア、情報による、訴えもどんどん行わなくては。
三、中国が台湾を取りに行って米国と戦争する勇気があると思いますか?またそれによって何を得るのでしょうか?米国は昔の対ソ連冷戦構造を中国との間で作り上げたいのだと思います。世界に恐怖をばら撒いて米国の言う事をきかせ、米国製武器を買わせる事が目的ですから何も実際に中国と戦争する必要は無いのです。中国も同じでしょう、両国は後ろの方では握手しているのですよ、我々は脅しに乗ったふりをして怖がってやればいいのです。多少経費は掛かりますが、平和の代償だと思えば安いもんでしょう。
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馬英九氏の肩書、「台北前指導者」に 外交部が厳正に抗議 ギリシャのシンポ
2023/04/27 17:48:38配信/フォーカス台湾(中央通訊社)日本語電子版
(台北中央社)ギリシャで開かれているシンポジウムの公式サイトで、登壇者の馬英九(ばえいきゅう)前総統の肩書が25日、「台北前指導者」に変更された。外交部(外務省)は27日、すでに駐ギリシャ代表処(大使館に相当)を通じて主催者側に厳正な抗議を表明し、訂正を求めたと明らかにした上で、矮小(わいしょう)化は「決して受け入れられない」と強調した。
馬氏の肩書を巡っては、「台北前総統」と表記されていることが21日までに分かり、外交部の抗議によって同日、「台湾前総統」に訂正されていた。だが、25日に「台北前指導者」に変更された。馬氏の事務所によれば、馬氏は現地時間26日に同シンポジウムの開会式に出席した際、ギリシャのサケラロプル大統領や主催団体の創設者に対し、肩書の問題を直接申し入れた。サケラロプル大統領からは謝罪の言葉を伝えられ、主催者に訂正を要請する姿勢が示されたという。
外交部の劉永健(りゅうえいけん)報道官は27日の定例記者会見で、主催者が一度は表記を訂正したにもかかわらず、開会前日に再び肩書を変更した行為は「理解しがたい」と批判。国際イベントに出席する非政府組織(NGO)や民間団体が矮小(わいしょう)化の状況に直面するいかなる場合においても、台湾はこれを決して受け入れない考えを示し、肩書の訂正を求め続ける方針を示した。
(劉冠廷/編集:名切千絵)
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現在進行中の露烏(ロシア・ウクライナ)戦争より、今日では中台戦争の予測記事が目立つようになってきた。侵略国(ロシア・中国)が明確な点で両者は共通する。つまり、戦争を仕掛けているのはロシアであり中国であって、ウクライナ或いは台湾ではない。究極の利己主義者であるプーチンや習近平の本当の目的は、ウクライナ・台湾の「富」であり、ウクライナ人・台湾人の幸せなどどうでもよいのだ。
利己主義は動物的本能と言ってよい。禽獣は子育てを除き、群れにおける同類を考慮することはない。平和の使徒とされる鳩だが、四半世紀ほど前、鳩の家族が我家のベランダに棲みいたことがある。親子四羽の核家族で、時々同類もやってくる。エサを置いておくと、取っ組み合いの争奪戦となる。人間の場合も嬰児や幼児は、理性が未開発な分、禽獣と変わりない。要するに利己主義なのだ。
チャイナウォッチャー石平氏に依ると、中国(=中国共産党)のことを〝巨嬰児(図体だけがバカデカい赤ん坊)″と呼ぶのだとか。遣ること為すことが我儘勝手なこと夥しいのは衆目の一致するところである。言い得て妙ではないか。だがしかし我国の神代は、鳥獣戯画に描かれているように、鳥や獣と共生していただけでなく、超現実的な存在でしかない八百万神や鬼・天狗などとも共存していたのだ。
鬼・天狗とかお化けや幽霊などの概念が古代支那人にあったかどうかは不知だが、少なくとも神話は存在したようだ。尤も、季節外れの怪談話が本題ではない。国民性の違いということだ。戦後暫く『世界四大文明(メソポタミア-BC3100-・エジプト-BC3000-・インダス(BC2500)・黄河-BC1600-)』が定説となっていたが、最近の考古学的研究で、これらより遥かに古いのが縄文文明-BC14000~BC1000-であることが判っている。
縄文文明が四大文明と異なる特徴は、人為的に殺害されたとみられる人骨が出土しないことである。つまり、争い事が殆どなく平和に暮らしていたことが窺える。これは御先祖様の叡智にほかならず、現代人の及ばぬところであるが、かといって西洋やシナより遅れた国と錯覚している西洋被れ・シナ被れの者どもは知覚すべきである。
我国の特殊性を諸外国と峻別できる理由に、自分は利他的国民性を挙げることにしている。人間に限らず、あらゆる動物は本能として利己的生き物である。ところが、我国の場合、仏教的無常観からくる諦観が根柢にあるのだ。
【無常】-仏教語-
万物は常に生滅流転し、永久不変のものはないということ。
特に人生の儚いことを謂う。
【諦観】-ていかん-
①本質をはっきりと見きわめること。たいかん。
②あきらめ、悟って超然とすること。
ここで謂う「諦観」とは②の意味である。要するに、人間一人の能力には限界がある。だから、夫々の能力を持ち寄り、お互いが助け合って生きるべき、とする考えに到ったのだ。この考え方は、小四時分(昭和32年)に担任の先生から叩きこまれたのでよく分かっている。
即ち、同級生間で男女ペアを組まされたわけだが、男と女では備わった能力に違いがあると知覚できたのである。具体例を挙げれば、自分は電球の取り替えなぞ苦もなくできるのに女児には出来ない。逆に女児が得意な裁縫は、自分にはできない。ならば、二人が助け合えば両方出来ることになる。「独り身では半人前、夫婦でようやく一人前」とする伝習は、こうして生じたのではないかと推察する。
互助互譲互恵の世の中は、利他的国民性の精華に他なるまい。
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