ヒゲの隊長こと佐藤正久が警告
「中国の台湾侵攻は2024~27年」
ワタミ流チャイナリスクルール
1/20(金) 17:00配信/夕刊フジ電子版
【経営者目線】
『日本が侵攻される日』(幻冬舎新書)という本を出版した「ヒゲの隊長」こと参院議員の佐藤正久さんとニッポン放送の番組で対談した。私も参院議員時代に外交防衛委員長を務めていた際は、元自衛官の佐藤さんの意見は、現場を知る声だと参考にしていた。
佐藤さんは中国が台湾を攻める可能性は高いと見ている。地図を片手に台湾海峡の浅さを強調し、「中国は正面から潜水艦を展開できない。大きな海軍力を使うには東側からになる。だから中国は現在、台湾の東側で訓練を繰り返している。台湾東側の海域には石垣島、宮古島なども含まれ、有事では主戦場になる」。つまり、日本が巻き込まれるということだ。
では、中国はいつ攻めるのか。佐藤さんは、早ければ来年と予想する。台湾では総統選、米国では大統領選があり、国論が割れるおそれがある。特に米国は分断が進んで混乱が深まれば、逆に習近平主席のチャンスは広がる。遅くても2027年、習主席4期目入りの前には台湾統一の実績を強調するはずだと見ていた。
台湾侵攻が現実となったとき、日本は中国に対して経済制裁できるかも問題だ。日本経済は中国依存度が高く、制裁をする側の日本も受けるダメージが大きい。しかし、佐藤さんは国家が重視すべき要素に「価値観」「経済」「安全保障」の3つをあげ「価値観に軸足を置かないと日本は生き残れない」と強調していた。同感だ。
ウクライナを侵攻したロシアに対して、日本は経済制裁に加わった。しかし中国の台湾侵攻では「損するから」と制裁に参加しなければ、国際社会から「所詮はその程度か」とみられ、いざというときに助けてもらえなくなる。佐藤さんは、日本は世界79カ国の調査で「自国のために戦うか」という国民意識が最下位だと指摘し、戦争回避の抑止力は、世界各国との協調姿勢が何よりだと説く。
中国との国交がなくなっても経済が守れるかということを考え、手を打っておくことも重要だ。ワタミでは中国撤退ラインをはじめから損失30億円と決めておく「ワタミ流チャイナリスク」というルールがある。おかげで、コロナ禍では他の外食企業よりも圧倒的に中国損失が少なかった。
中国市場は今後も有望であることは間違いない。薩摩牛食べ放題「かみむら牧場」が現在、香港、台湾で好調で今後は中国本土への進出を視野に入れる。しかし現地の外食企業と合弁の形で再進出したい。最大の問題は政治体制にある。現状では当局が「明日、日本企業はこの場所から出ていけ」と言い出せば、したがわざるをえない。現在の政治体制が続く限り、このリスクを意識し続けなければならない。
最後に、私は防衛費の財源に赤字国債を充てることは反対だ。太平洋戦争の戦時国債と同じく歯止めが利かなくなりハイパーインフレを引き起こす危険が高い。国を守るためには政治が、歳出改革や財政再建を行えるかにもかかっている。
(ワタミ代表取締役会長兼社長・渡邉美樹)
コメント総数;57件
一、ヒゲの隊長は政治家になってから軍人時代よりもその洞察力を発揮するようになりました。 中国を見る目も、右側過ぎる訳でも無く、冷静に見ています。聞いていて理屈に叶っています。リスクは知るべきで、経済的に切れなくても、何でもオッケーとはいきません。中国の野望や威嚇が日本を脅かしている事は事実ですから、当然佐藤さんは警鐘を鳴らすでしょう。万が一とは言えない周辺状況にあって、国防の増強は必要な事です。軍隊では無い自衛隊も今のままでは、有事の際に遅れを取ることになります。法整備もしっかり進めて頂きたいものです。
二、そのようなリスクが想定されるなら、「台湾有事は日本有事」の原則に基づき、米英豪などの同盟国・準同盟国とより具体的かつ実践的な共同作戦の在り様を詰めておくべきではないのか? いざという時に、肝心な同盟関係が機能しないばかりか、初期対応に動き出した日本と台湾だけが梯子をはずされるような状況に陥っては元も子もない。そもそも日本政府は、日米安保や米軍の「核の傘」の実体について、あまりに楽観論を妄信している。
三、中国は正面から潜水艦を展開できない。大きな海軍力を使うには東側からになる。だから中国は現在、台湾の東側で訓練を繰り返している。
髭の隊長もタレント化したかな?台湾海峡は水深80m以下で台中両国共に機雷原を作る、よって中国は福建から上海までの港は封鎖される。
高雄から基隆は水深は1000m超、台湾を封鎖するなら艦船封鎖になる。ここでキーになるのは空母キラー雄風3超高速ミサイル(射程300km)500発超の配備を述べない。米国空母群が公海上に展開したら、中国海軍はその外側に展開しますか、外側から攻撃すれば米国を巻き込む、内側に展開すれば雄風3の的。
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中国政府 一部の国への「団体旅行やツアー旅行」を解禁
日本は含まれず
1/20(金) 20:31配信/テレ朝newa電子版
中国政府はこれまで禁止していた海外への団体旅行やツアー旅行を2月6日から一部の国に対して解禁すると発表しました。ただし、日本への旅行は含まれていません。
中国の文化旅行省はこれまで新型コロナウイルスの感染対策として、海外への団体旅行やツアー旅行を禁止していました。
2月6日から解禁されるのは、タイ、インドネシア、カンボジア、モルディブ、スリランカ、フィリピン、マレーシア、シンガポール、ラオス、アラブ首長国連邦、エジプト、ケニア、南アフリカ、ロシア、スイス、ハンガリー、ニュージーランド、フィジー、キューバ、アルゼンチンの20カ国です。
中国からの入国者に対して水際対策を強化している日本やアメリカ、韓国などは含まれていません。
中国政府は解禁の基準を明らかにしていませんが、水際対策の有無などが考慮された可能性があります。
コメント総数;25件
イ、中国が日本を非難してる理由ってコレだよね
中国人は日本に来たい
けど、自国政府のせいで自由に旅行出来ない
と、なると怒りの矛先が中国共産党に向いてしまう
だから必死で日本に規制の緩和を求めていた
ロ、日本に来て感染を広めたり薬を買い占めたりされることを考えたらよかったと思う。
あちら側は行ってやってるって考えなんだろうけど逆だと思う。
ハ、素晴らしいニュースです。
朝日系列は悔しそうだけど。
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台湾海峡情勢とは直接関係なさそうな報道を二題並べたのは、我らが考えていることとあちら(中国共産党)の悪意ある嫌がらせ報復措置がまるで噛み合ってないことを確認できる貴重なニュースソースと思ったからだ。
専制(独裁)と民主制では、意思統一という意味で専制のほうが一見有利と思われがちだが、豈図らんや、実際は逆なのだ。〝三人寄れば文殊の知恵″との俚諺があるように、一人(独裁)で考えるより、複数人(集団)のほうが十人十色百人百様の意見が出て智慧(対応策)も選り取り見取りということ。
【三人寄れば文殊の知恵】
凡人でも三人集まって相談すれば、思いがけないよい知恵が浮かんでくる。
【専制】(=独裁)
上に立つ人が独断で思うままに事を処理すること。
【民主制】
多数者が支配する政治形態。民衆の意思に従って政治が行われる政治体制。
『彼を知り己を知れば百戦殆からず』という孫子の言がある。
【彼を知り己を知れば百戦殆からず】
敵と味方の情勢をよく知って戦えば、何度戦っても敗れることはない。
ウクライナ侵略で苦戦を強いられるロシア軍に象徴されるように、独裁者は往々にして自信過剰に陥り易い。政敵を尽く粛清するから換言する人物さえ居なくなる。祭り上げられていい気分かもしれないが、そのため自身の能力が敵の実力を圧倒しているかのように錯覚してしまう。実は、敵のことも味方のこともよく分かっていないのだ。
急に『汝の敵を愛せよ』という言葉を思い出した。
【汝の敵を愛せよ】
神があらゆる者を愛するように、人間も、たとえ敵であっても愛すべきだ、という教え。
[出典]新約聖書-マタイ伝-
我が社祖安田善次郎著『意志の力』(非売品)にも出て来る。
誰しも人から悪口を言われると、一時は好い気持はしない。誤解を受ければそれを弁解したいと思うのは人情である。けれども私はいずれの場合にも、これは天が言わしめられるものである、自分の注意の足りない所を天が訓戒せられるものであると受け取って必ず自ら反省して後来を戒めるのである。汝の敵を愛せよという言葉は、この場合に於いて最も適切だと思われる。普通の友は自分に対して気に逆らうようなことはなるべく遠慮して言わない、けれども敵であれば、自分の欠点短所を遠慮なく暴露する、自分が自分の過失を覚えることの出来ない場合に、敵は遠慮なく真実を指摘してくれる。故にそれを取って以て後日の戒めとして修養すれば、敵の我に対する悪言は、我を策励する所以の忠言に外ならず、誹謗は我の真実を映す鏡ではないか。こう考えてみれば、敵は我を鼓舞し激励させる所以の良友であるから、汝の敵を愛せよとの古言は実に金言である。
安田善次郎翁は言うまでもなくクリスチャンではない。キリスト教(異教)の教典をこのような独自解釈で昇華してしまうとは、素晴らしいではないか。こんな異次元の智慧は、習近平・プーチン・金正恩ら独裁者どもには逆立ちしても習得出来まい。こうしてみると台湾の場合、政体の違いは言うに及ばず、文化的にも中国とは異質であり、どちらかと言えば日本と近似性があるように見て取れる。
更に、こういう結論に至る思想背景には「罪を憎んで人を憎まず」的な神仏にも似た人間愛がある。
【罪を憎んで人を憎まず】
罪は憎むべきだが、その罪を犯した人まで憎むべきではない、ということ。
[由来] 「孔叢子―刑論」孔子の言葉から。昔の裁判官は、「其の意を悪みて、其の人を悪まず」という態度で裁判に臨み、どうしても避けられない場合だけ処刑していたのに対して、今の裁判官はその逆だ、と述べている。日本では、「意」が「罪」に変化した形で定着した。
なるほど、孔子の時代から、日高見国(日本)とシナチョ~センは真逆の考え方だったんだ。
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