なぜ中国人は重いランドセルを背負う日本の子どもを見て驚き、
そばに保護者がいないことを不思議がるのか?
4/7(水) 6:15配信/中島恵(ジャーナリスト)
■日本のランドセルを「お土産」に
全国各地の小学校で新学期が始まりました。小学生といえばランドセル。日本人にとって、小学生がランドセルを背負い、数人が一緒に通学する姿は見慣れた光景ですが、こうした姿は海外では見られません。ランドセルは日本独自に発展したカバンで、江戸時代に兵隊が使っていた布製の背負いカバンが起源だといわれています。
かつての日本では、男の子は黒、女の子は赤いランドセルを使うことが一般的でしたが、現在では色やデザインが豊富になり、多機能で高品質、おしゃれになりました。
日本でランドセルといえば「小学生が使うもの」ですが、2014年ころ、アメリカの女優、ズーイー・デシャネルさんが真っ赤なランドセルを颯爽と肩にかけている姿がメディアで紹介されたことをきっかけに、欧米では“ファッション”として注目されました。
2015年ころになると、「爆買い」で日本に押し寄せた中国人観光客が、日本の百貨店や空港の免税店でランドセルを買い、それを「お土産」として中国に持ち帰る、ということもありました。
中国人にとって、日本のランドセルは、アニメ『ちびまる子ちゃん』(中国語名は『桜桃小丸子』)や『クレヨンしんちゃん』(蝋筆小新)など、映像でよく見たことがある馴染み深いものですが、中国人の大人から見ると、「高級品」「日本の匠(職人)が作った工芸品」といったイメージがあるようです。
一方、中国の小学生が通学時に使っているのはリュックサックや手提げカバンです。中国には日本のような細かい校則はないので、カバンのサイズや色柄はさまざま。思い思いに、かわいいアニメのキャラクターがついたカバンを持っている子が多いですが、中にはブランドもののカバンを使っている富裕層の子どももいます。
■日本人は教科書以外にも荷物が多い
中国人から見て、日本の小学生の通学風景は、カバンが中国とは異なるということ以外に、不思議に思うところがあるようです。
そのひとつは、子どもたちの荷物が重いこと。日本のランドセルは1000~1500グラム程度と、現在ではそれほど重いものではなく、軽量化が進んでいるのですが、教科書などを入れるとずっしりと重くなります。
ランドセルメーカーのセイバンが2018年に行った調査によると、平均6キログラムほどであることがわかりました。子どもによっては10キログラム近くなることもあり、これは数年前に「重すぎるランドセル」として問題視されたこともありました。
中国でのカバンの重さについて、平均値を示すデータはなかったのですが、中国の小学校でも、カバンの中は当然、教科書でいっぱいです。ただし、日本の小学生のように、体操着や楽器、絵の具、水筒などを別の袋に入れて持っていくということは中国ではあまりありません。そうしたものは学校に置きっぱなしのことが多いからです。
荷物の量だけを比較すると、日本のランドセルのほうが重そうに見えますし、中国のSNSでも「日本人のランドセルのほうが重たいので、日本人は大変だ」と書いている人が多かったです。
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■中国では保護者が一緒に登校する
しかし、中国人がもっと不思議に思うのは、その重たいランドセルを、日本人の子どもは「自分自身で背負って」、かつ「友だち数人と一緒に」通学していることです。
中国の小学校に行ってみて、逆に日本人が驚くのは、通学するのは子どもだけでなく、保護者が一緒であるという点。中国では現在でも、幼い子どもは誘拐される心配があります。とくに都市部では通学時間が日本の小学校よりも長く、交通量も激しいため、保護者が付き添って通学することが多いのです。
付き添うのは父親か母親、あるいは祖父、祖母、お手伝いさんなどで、子どもたちだけ、あるいは子どもが一人で通学する、ということはほとんどありません。少し遠方の場合は、保護者が毎日クルマで送迎することもよくあり、子どもの通学のためにクルマを購入する人もいるほど。有名小学校の校門前には、クルマがズラリと縦列駐車していることもあります。
徒歩の場合も多いのですが、徒歩で通学しているところを見ると、かなり高い確率で、子どものカバンは子ども自身ではなく、保護者が持っています。ときには70代の祖母が重いカバンを持ってあげて、5~6年生にもなる大きな子どもは手ぶら、ということもあります。
なぜそうした行動を取るのかについて、中国人に聞いてみると、「中国の子どもはとにかく勉強が大変なんです。小学生でも宿題をやり終わるのは毎晩11時過ぎ。子どものプレッシャーが大きく、子どもはいつも疲れているので、せめてカバンくらいは持ってあげないと……」という答えが返ってきて、びっくりしたことがありました。
日本でも、最近では、子どもを電車の優先席に座らせて、保護者が立っているという光景を見ることがありますが、「子どもが疲れているので」という理由で、代わりにランドセルを持ってあげる姿はあまり見かけないのではないか、と思います。
7~8年くらい前の話ですが、北京日本人学校の関係者が、「中国人(あるいは日中ハーフ)で、日本人学校に通っている子どもは保護者がカバンを持ち、日本人の子どもは自分でカバンを持って校門を入ってくるので、遠くから見ていてもすぐにわかる」といっていたこともありました。
■子どもだけで登校できる日本人は幸せ
日本では、登下校の際は、近所の友だちと誘い合って、あるいは近所の子ども同士でグループを作って、数人で一緒に通うことが多いと思いますが、中国では、ここまで述べてきた理由で、そういうことはできません。
以前、日本に転勤してきた中国人の友人は、子どもを日本の公立小学校に1年間だけ通わせたことがあったのですが、そのとき、近所の子どもが声をかけてくれて、学校までの道のりを一緒に通学したことがあったそうです。友人はそのときのことを振り返り、「自分の子どもにとって、かけがえのない財産であり、よい思い出になった」としみじみ話していました。
登下校の途中でちょっと道草をしたり、友だちと遊んだり、おしゃべりをしたりするという経験は、日本人にとってごく当たり前のことですが、それはとても幸せなことなんだと、この友人の話を聞いて感じました。新学期になり、子どもたちが元気に通学する姿を見ると、私はこのときの話を思い出すのです。
政治色がない分、却って日中の文化的違いが分かるようで面白い記事になっている。筆者が女性ジャーナリストならではの、保護者(母親)的視点で観ているような気がする。つまり、男である自分とは観方がかなり異なる。
以前、中国女性の結婚観や子育て観などのお遊び的アンケートを採り上げたことがある。その際、同じ質問なら日本女性はどう答えるかという比較が載っていた。あくまで中国サイトなので、中国女性が日本女性をどう観ているかがが窺い知れて、なかなか興味深かった。
その時の感想は、中国女性が功利的であるのに対し、日本女性は規範的に映った。ただし、中国女性の日本女性観だから、必ずしも現実は違うのかもしれない。事実、読んだ限りでは、時代劇に出て来るような古いタイプの日本女性をイメージしていることが分かる。
今回は反対に、日本女性から観た中国女性観(必ずしも女性が対象ではないが)の一端を知ることが出来る。個人的な感想に過ぎないが、筆者中島氏は、チャイナウオッチャーとしての経験が長いためか、典型的な日本人の視点とはやや異なる気がする。例えば、
日本でも、最近では、子どもを電車の優先席に座らせて、保護者が立っているという光景を見ることがありますが、「子どもが疲れているので」という理由で、代わりにランドセルを持ってあげる姿はあまり見かけないのではないか、と思います。
との件。自分は古いタイプのせいか、子供の教育躾けの観点で、この光景自体に激しい抵抗感を禁じ得ない。「子供を大切にする」という意識が根柢にあるのだろうが、間違っていると思う。結果として子供を甘やかすことになるからだ。我国は基本的にゲマインシャフト(共同体)型社会だと思う。これに対し、香港・シンガポール・韓国等を含むチャイナ文化圏は、ゲゼルシャフト(利益体)型社会構造になっている。例外は台湾で、両方が混在する。もちろん、両者の境界線は明確ではない。かつ個人差や地域差もあろう。要はゲマインシャフト、ゲゼルシャフトのどちらが支配的かということだ。
教育・躾けの側面で言うと、同じ「子供を大切にする」でも、方法論が全く異なる。我国古来のシラス(≒ゲマインシャフト)思想では、社会に出て困らないように育てることが究極の目的であり、そのために(子供の)心身を鍛えることに眼目が置かれる。しかし、ウシハク(≒ゲゼルシャフト)では、多分に打算的(親の利益)である。先に、功利的(=中国社会)と規範的(=日本社会)と書いた所以である。
【功利的】
物事を行なう際に、利益、効果が上がるかどうかを中心に考えるさま。
【規範的】
判断・評価・行為などの際、社会的基準(≒伝統・常識)に従うさま。
【ゲマインシャフト(共同体)】
生得的、有機体的な本質意志によって結びついた自然的、
有機的統一体としての社会。
血縁に基づく家族、地縁に基づく村落などを含む。
現在では共(協)同社会、コミュニティーと同義。
【ゲゼルシャフト(利益体)】
共通の目的のために成員の自由意思に基づいて形成された社会。
会社、組合など。都市、国家なども含む。利益社会。
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