習近平の経済政策に「市場重視派」重鎮が噛みついた
3/4(木) 6:01配信/JBpress
中国で、3月5日に北京の人民大会堂で開幕する年に一度の国会、全国人民代表大会を前に、習近平主席が「締め付け」を強化している。
2月25日、同じ人民大会堂で、「全国脱貧困攻略総括表彰大会」を開催。7月に中国共産党創建100周年を控えた習近平政権が、100周年の「看板政策」にしていた「脱貧困」(貧困人口ゼロ)を達成したことを、内外に宣布する自画自賛イベントだった。そこで習主席は、1時間以上にわたって熱弁を振るい、「中国の歴代のどの政権も成し得なかった『脱貧困』を、社会主義のわが共産党政権が成し遂げた」と豪語した。
翌2月26日、習主席は中南海(最高幹部の職住地)で中央政治局会議を招集。ここでも長い演説をぶち、「中国の特色ある社会主義の偉大なる御旗を掲げて、全国人民代表大会で『第14次5カ年計画」(2021年~2025年)と『2035年までの遠景目標』を定めていく」と力説した。また、学校で「習近平思想」(習近平新時代の中国の特色ある社会主義思想)を、広く教育していくことも、全国人民代表大会で決議することを説いた。
習近平主席は社会主義の信奉者で、ガチガチの社会主義国家を目指している。中国は、まるで毛沢東時代に逆戻りしていくかのようである。
■ 習近平を中心とする「社会主義重視派」と李克強を中心とする「市場経済重視派」
だが、1992年から翌年にかけて、毛沢東時代の行き過ぎた社会主義を否定した鄧小平氏らは、「社会主義市場経済」を国是に定めた。社会主義を強め過ぎると経済が停滞するとして、経済分野は市場経済を伸ばしていくと決めたのだ。憲法第15条には、「国家は社会主義市場経済を実行する」と明記されている。
こうした鄧小平理論をいまに継承するのが、「団派」(中国共産主義青年団出身者)と呼ばれる系譜の政治家たちで、その筆頭は、序列ナンバー2の李克強首相である。2013年3月に、習近平国家主席・李克強首相体制が出帆して以降、毎年3月の全国人民代表大会が近くなると、習近平主席を中心とした「社会主義重視派」と、李克強首相を中心にした「市場経済重視派」の論争が起こってきた。
だが、年を重ねるにつれ、「習近平>李克強」の傾向が強まっていった。いまや李首相の存在感はほとんどなく、「李省長」(省長は日本の県知事に相当)というありがたくないニックネームが定着してしまった。
そんな中で今回、わずかに「一発だけ」反撃を喰らわせた。それが「楼継偉論文」である。先月、経済専門誌の『財政研究』に掲載されるや、瞬く間に中国のインターネットやSNS上で拡散していき、多くの中国人が目にすることとなった。同時に、全国人民代表大会直前の中南海を、にわかにザワつかせているのである。
■ 飛ばされた「市場重視派」重鎮
1950年生まれの楼継偉氏は、名門の清華大学を卒業し、経済テクノクラートのホープとして、順調に出世の階段をのし上がってきた。2013年には、かつて弟分だった李克強首相の強い引きで、財政部長(日本の財務大臣に相当)に就任した。2015年6月に開かれた第5回日中財務対話で訪中した麻生太郎副総理兼財務大臣は、楼部長と白酒を酌み交わして意気投合し、「あなたがいる限り中国経済は安泰だ」と述べたほどだった。
だが、翌2016年11月、楼部長は電撃的に解任される。「市場経済重視派」(李克強派)の番頭格として、大ナタを振るってきた楼部長のことを、「社会主義重視派」(習近平主席派)が鼻持ちならなくなってきたのである。そのため、同年4月に楼部長が母校の清華大学で行った講演が体制批判にあたると難癖をつけて、解任に追い込んだ。
解任後の楼氏に与えられたポストは、全国社会保障基金理事会理事長。国民年金を管理する凡庸なポストだった。2019年4月には、そのポストからも外され、政府の諮問機関である政治協商会議の外事委員会主任という、さらなる閑職に追いやられたのだった。ちなみに政治協商会議は、「市場経済重視派」の唯一の牙城とも言ってよい存在だ。
■ 中国の財政事情について警鐘乱打
そのような、「もはや失うものは何もない」とも言える楼氏が、久々にパンチを浴びせ、毛沢東時代の再来を恐れる人々の喝采を浴びているのである。以下、「楼継偉論文」の核心部分を訳す。
<(いまの中国経済は)財政面から言えば、極めて厳しい状況に直面しており、リスクもチャレンジも巨大だ。すでに経済の成長速度は緩まっていて、財政収入の自然増は限りがある。それなのに財政支出は減らさないので、財政の収支矛盾がとんでもない問題となっている。そこに人口の老齢化、潜在的な若者不足、地方政府の債務といった厳しいチャレンジが続く。その他にも、新型コロナウイルスの世界的な蔓延の継続による経済下降など、巨大な不確定要素と外部の衝撃が加わる。
財政収支の矛盾は、異常に先鋭化しており、財政圧力が不断に高まっている。2020年4月以降、財政支出の速度は財政収入の速度を大きく超えている。地方財政の圧力は不断に拡大し、各地方の財政赤字は拡大する一方だ。中長期的に見れば、コロナの影響などで、今後5年間の中国の財政収入は低迷し続けるだろう。つまり、財政困難は短期的なものではなくて、中期的に見ても非常に困難だということだ。
債務面から見ると、政府の債務問題は、ますます未来の財政の安定と経済の安全に影響を与える重要な因子となっていく。2009年から2020年まで、積極財政を11年も続けており、その間、財政赤字は不断に拡大し、債務規模は急激に拡張している。債務の返済が一般予算支出に占める割合も不断に上昇していて、2017年、2018年、2019年は、それぞれ16%、10%、4.5%増えた。2020年は1月から11月までで16.1%増加している。2019年の中央政府の支出に占める債務の返済は13%で、2020年はおおよそ15%に上がる。これは支出部門で2番目となる。
地方債務の問題も突出していて、増加の一途を辿っている。短期的には財政緊縮の圧力で緩和されることもあるが、将来的には地方財政が持続して行けるのかは、さらに大きなチャレンジとなるだろう。第14次5カ年計画の時期(2021年~2025年)、多くの省や市が債務の継続に苦しむことになる。大まかな計算によれば、だいたい4分の1の省級の財政の50%以上の収入が、債務の返済に使われることになるのだ。地方政府の債務問題は、地方政府の公共サービスの供給能力に支障をきたすだけでなく、財政金融のリスクを増すことにもなる。
老齢化の問題も、将来的にわが国の財政に厳しい挑戦状を突きつけることになる。関係する統計によれば、2019年の中国の60歳以上の人口は、2億5388万人で、総人口の18.1%を占めている。うち65歳以上は1億7603万人で、総人口の12.6%だ。老齢化社会が加速度的に到来していることが分かる。人口の老齢化は中国の財政支出の規模と構造を変え、財政の年金負担を増加させ、財政圧力を増加させる。特に減税と経費節減を実施し、経済成長が下降している背景下で、財政収入の増加の幅は減り、大変厳しい状況に直面することになる。(中略)
総じて言えば、わが国は百年に一度の大変化に直面しており、内外の環境は大きく変化している。国内経済の情勢が変化するばかりでなく、世界経済全体が下降していき、政府の債務は増加し、国際貿易も摩擦に見舞われる。これらすべてが重なり、わが国の財政は持続的に、巨大な不確定で厳しいチャレンジに直面していくだろう>
以上である。3月5日から始まる全国人民代表大会では、「社会主義」と「市場経済」のせめぎあいも注目である。
近藤 大介
コメント総数;8
イ.どういう経済政策であっても品質への不安や隠ぺい、ねつ造される情報、数字を出す国が本当の意味での消費者の信頼を勝ち取るとは思えない。他国の情報を盗み、築かれた経済大国は破綻してほしいですね。
ロ.「締め付け」は結構だが中国に対しジェノサイド認定する国の勢いは更に加速します。北京五輪の開催地の変更やボイコットや中止等が良い例だ。万国が協力し中国は間違いなく「締め上げ」られるでしょう!日本も中国への制裁には必ず参加するべきです。米国の前政権が中国の蛮行を世界に発信した!今思えばトランプ前政権は健全な世界秩序を気づかせた。賛否あるがトランプ前政権を私は有難く思います。
ハ.中国国営通信新華社発行新聞1月24日記事で
”一部の腐敗分子が利益集団となり 愚かにも党・国家の権力をかすめ取り
党の統一を破壊しようとしている”と明記したが 国営メディアの内部紛争を
記事とする異例は 習指導部危機感の表れと感じた
記事では”ある者は裏でこっそり抵抗し 面従腹背をしている”とまで指摘
習氏は国家主席の任期制限を撤廃し長期支配を可能とした反面 個人
独裁への懸念が根強くあるという
どの国の史実も個人欲におぼれる者は結果として歪な私欲に片寄り
国民への負担を重くする方向となる
「正しい党史観に定義なし」「正しさを学べ」と述べる習氏の掛け声は
「正しさを独占するので要注意」という事を政治史が証明している
台湾発記事に比べてコメント数が圧倒的に少ないのは、我国ネットユーザーの中共政府に対する嫌悪の顕われだろう。筆者の近藤大介氏も、某ネットTVで中共の工作員呼ばわりされて、さんざんからかわれているが、憎めない人のように見える。
記事を要約すると、毛沢東派(習近平)と鄧小平派(李克強)の権力闘争に収斂されようが、根本的な問題は別のところにあると思う。即ち、中国共産党自身が内包する論理矛盾である。共産(社会)主義の理念(イデオロギー)と実態(現実)が大きく乖離しているのである。
そもそも、ブルジョワ(資産階級)が搾取した富をプロレタリア(無産階級)の手に奪い返して平等(公平)な世の中にするのが共産主義であったはず。然るに何のことはない。現代中国は、共産党員(とりわけ幹部)がブルジョワの座に着いただけで、一般人民(プロレタリア)との格差がむしろ拡大傾向にある。こんな倒錯した共産主義が、あってたまるものか。中共はもはやレゾンデートル(存在意義)を失くしたと言って差し支えあるまい。
『宗教は阿片(麻薬)なり』とは共産主義の元祖カール・マルクス(ユダヤ人)の言辞である。その共産主義カルト教に酔い痴れているのが現代中国共産党と言えよう。見苦しいこと夥しい。
中国国歌『義勇軍行進曲』ではないが、真に「起来!不愿做奴隶的人们!(いざ立ち上がれ!隷属を望まぬ人々よ!)」である。
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【閑話休題】
初訪中は1984年。翌85年夏、北京は再訪なので本来許可されない一日だけ単独行動をとらせてもらった。当然、私服公安と思しき連中が付け馬みたいに張り付いていた。天安門外で現地人に囲まれた。如何にも外国人という身形だったからだろう。
「何処から来た?(国籍)」「年齢は?」「旅費は公費?自費?」「年収は?」「既婚?未婚?」などなど。まるで身上調査の質問攻めに遭った。北京語は挨拶程度しか解さないので、筆談を交えた返答となる。ところが、あちらの若者は簡体字、当方の書いた正字(繁体字)が読めない。後方の老人がしゃしゃり出て、正字を簡体字に訂正して若者たちにみせると、歓声が上がる微笑ましい交流だった。
たった一つ「嘘だ」と完全否定された返答がある。それは当方の「年収」。当時、37歳の平社員如きが、最高指導者鄧小平の公表年収を上回っていたからだ。後年、鄧小平娘のスキャンダルが発覚したように、裏でしこたま蓄財していたろうことは想像に難くない。
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